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甲冑に身を固めてプレー? 槍投げでコースを回る?

一方、1969年には聖パトリックの祭典を盛り上げようと、アイルランド・アマ選手権の覇者、バシー・ダースが新聞紙上で挑戦者を募ったことがある。

「聖パトリック様は、莞爾として受難に立ち向かったお方。そこで小生も17世紀に使われた本物の甲冑に身を固め、スクラッチにてお相手申し上げる。ただし、教会への献金として対戦希望者には30ポンドを申し受けたい」

この挑戦状に対して、アイルランド国内はもとより、イギリス、アメリカからも数十人の猛者が応じたというから、国籍問わずゴルファーは髭の生えた子供、微笑ましい限りである。

当日、バーンムースの1番に現われたバシー・ダースのいで立ちは17世紀の甲胄姿、兜の窓から微かに目玉こそ覗けるものの、いざアドレスに入った瞬間、くぐもった悲鳴が聞こえた。

「なんとかしてくれ、まったくボールが見えない!」

覗き窓を広げるわけにもいかず、相手の了解を得て兜なしのゲームに臨むことになった。それでも関節の部分が動かず、腰も回らず、重量10キロの甲冑は空きカンを引きずる新婚の車に似た騒音に満ちて、歩くことさえままならなかった。その日の対戦相手はアイルランドのモックストンに住む船乗りで腕力も強く、途中の6番、350ヤードで1オンを果たして周囲のド肝を抜いた。バシーも汗まみれになって健闘したが、どうにもクラブがうまく振れない。それでも14番まで粘ったというから大したものである。ゲームが終わって脱いだ甲冑の底には4リットルの汗が溜まっていたと記録にある。

「ゲームには負けたが、その翌日、私の身に奇蹟が起きたのだ。非力な私は飛距離よりアプローチが勝負だった。ところが翌日、いきなり30ヤードも飛距離が伸びてクラブ選択にうれしい悲鳴をあげる始末。考えるに、甲冑の重さがスウィングの改善に役立ったらしい。もちろん、これも聖パトリック様の贈り物と考えている」

さて、風変わりな試合といえば、1913年にイギリスのモレーで行われたJ・マッキンレーとS・ルポールの対戦が極めつきだろう。マッキンレーは通常のクラブとボールでゲームに臨んだが、一方のルポールは欧州陸上選手権の槍投げのチャンピオンとあって、手にしたのは一本の槍だけ。まさかカップの中に槍を突き立てるわけにもいかず、ホールアウトはカップを中心に直径5ヤードの円を描いて、その中に槍が刺さればよしと申し合わせた。2人は日曜の早朝、人目を避けるようにしてスタートした。マッキンレーは次のように述懐する。

「それは実におかしな光景だった。何しろ彼はティグラウンドの後方から槍をかざして走り出すと、ティマークぎりぎりの場所でエイッ! 気合もろとも彼方に槍を投げるわけだ。さすがチャンピオンだけあって狙いたがわず、ことごとくフェアウェイの真ん中に飛び去り、突き刺さった。次にその場所をマークしておいて助走、投擲、グリーンを狙うわけだが、もしカップの円内に入らなかった場合、もう一度グリーンの外からやり直すのがキマリだった。彼は数ホールで槍投げゴルフをマスターした」

ティショットならぬ第1投はいいとして、問題はグリーンの円内に槍を突き立てるアプローチが思うにまかせず、結局5アンド4で本物のゴルファーに打ち負かされてしまった。

ところでゲーム終了後、通報によって駆けつけたクラブの理事に大目玉を食らったのは当然だが、神聖なコースに槍を突き立てて無事に済むはずもなく、さらに数日後、会員のマッキンレーに退会処分が下された。

変態遊びが高くつくこと、どこの世界でも同じ話よ。

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

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夏坂健

1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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おとなの週末Web編集部 今井
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