今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第18回は、歴史を尊ぶイギリス人たちが、自国発祥のゲームに関する最古の本をめぐって巻き起こしたドタバタについて。
夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」その18 「最古のゴルフ書」現わる
印刷屋も兼ねた詩人がわずか500部だけ出版
4年に1度のルール改正も含めて、ゴルフに関するすべての権力は、セントアンドリュースにある「ロイヤル・アンド・エンシェント」(R&A)に集中する。
もちろん、重厚な建物の中に充満するのは権力ばかりではない。ここには最古のクラブ、ボール、全英と名がつくカップ類、歴史的絵画、陶器、写真、図書など、ゴルフの全貌を物語るに必要なすべてが濃密に押し詰められて、王家の蔵の奥に迷い込んだ酩酊感さえ漂うのである。
実際、資料室に入って、すぐ手前にある古びたファイルの1冊を何気なく開いてみると、いきなり希代のゴルフ狂として知られたジェームズI世が、グリニッジ離宮のあるテムズ河畔ブラックヒースに5ホールの建設を命じた際のコース・スケッチが、わっと視界に飛び込んできたりする。1608年など、きのうの如し。この建物には何が眠っているのか見当さえつかない。
ところが、まことに意外、ゴルフに関する歴史と文化と伝統のすべてが揃っているはずのR&Aも、実は画竜点睛を欠いていた。世界にたった1冊しかない最古のゴルフ書が、現在スコットランドにないのだ。1人の理事が呟いたように、
「これは忌わしい記憶であり、行き場のない腹立たしさに、イギリス国民はいまなおイライラしている」
まさに予期せぬ出来事が発生したのである。
印刷屋も兼ねていた詩人にして熱心なゴルファー、トーマス・マジソンが、わずか24ページの史上初めてのゴルフ書、『The Goff. Heroi-Comical Poem』をエディンバラで出版したのが1743年のこと。当時は「Goff」(ゴッフ)と呼ばれていたが、1805年の記録によると「Gouf」(ゴウフ)に変化、現在の名称「Golf」に定着したのが1830年ごろ。従ってゲームは1300年代から隆盛を極めるが、名前は比較的新しいのである。
マジソンは、自社の印刷機を使って500部だけ出版した。そのころのスコットランドはゴルフ一色、デイブ・ドッドが書いた『Great Game』によると、急増したゴルファーたちが遅々としたスタート順にしびれを切らし、そこらの空地に委細構わず旗を立てた時代であり、彼が『The Goff.』を出版した11年後の1754年には、セントアンドリュース・ゴルフ倶楽部も設立されている。まさにブームの中でのゴルフ本初出版とあって、500部は瞬時になくなったと想像される。
この初版本は、誕生したときから存在が伝説的だった。1833年に同様のゴルフ詩集『Golfiana』を出した有名な詩人、ジョージ・フラートン・カーネギーは、著書のあとがきにこう記している。
「私も実物は見ていない。ただ伝承によると、印刷過程のミスによって表紙に淡い紫色が混ざったといわれる。彼は刷り直すつもりで翌朝眺めると、一夜のうちに色が落ち着いて、さながら高貴なるバラの花びらの如く、えも言えぬ気品が漂って申し分ない。そこで彼は、晩年になるまで事実を伏せたまま本を配布したと聞く」
すべてが地味すぎるスコットランドにあって、淡い紫色の本の出現は、それだけでドラマチックといえる。だが本とは名ばかり、問題はわずか24ページという薄さにあった。
本棚に立てても左右から押されて埋没するだけ、そこらに放置すれば、紙は貴重なストーブの焚きつけ役としてたちまち破かれ、あえなく消滅する。むかしの優れた料理書がレシピだけ読まれたあと、たちまち破かれてカマドの焚きつけと化したように、『The Goff.』の大半も似たような運命を辿ったと私は想像する。
初版本に限って、出版から10年後には早くも「幻のゴルフ本」と呼ばれ、高貴なバラの花びらを見たと言う者は皆無だった。
彼の没後、この本は息子と孫によって2度増刷されている。初版から20年経過した1763年に1000部、1793年にも同じく1000部が刷られたが、表紙の色はいずれも白い紙のままだった。子孫たちは、伝説の初版に敬意を表して着色は控えたと語っている。