オークション会場に持ち込まれた「よれた感じの小冊子」
多くの人は、R&Aに初版本があると思い込んできた。
過去の例からして、貴重な品は向こうから飛び込んでくるからだ。たとえばプロの始祖、アラン・ロバートソンがゴルフ史上初めて80を切り、夢の「79」を達成したときの紙片も、プレストウィックに住む1人の好事家から持ち込まれた。これにはアランのサインも入っている。
当時スコアカードは存在せず、ようやく1865年、第6回全英オープンのときから現在の形に似たものが登場する。
ところが、この初版本だけは唯一の例外、R&Aにあるのは2刷と3刷の各1冊だけ、どう探しても存在の気配すら感じられなかった。その証拠に、1909年刊の『倶楽部史』に次のような記述が見られる。
「すでに消滅したものを求めるのは、聖杯伝説に登場する円卓の騎士と同じふる舞い、徒労に終わるだろう」
初版本は存在しないと、はっきり断定したのだ。
さて、初版刊行から実に219年も経過した1962年のこと。スコットランドの貴族の末裔と名乗る男が、いきなりオークション会場に「よれた感じの小冊子」を持ち込んできたのだ。彼はスコットランドの貴族の末裔だと名乗ったあと、次のように説明した。
「この本は、曾祖父の代から書庫の奥にありました。先年亡くなった父の話では、かなりの希少本、売る気になれば5000ポンド以上の値がつくとか。私は売りたいのです」
これが競売3日前の出来事。直ちに2人の古文書鑑定家が呼ばれ、X線検査まで行った結果、競売が行われる日の朝になって、
「疑う余地がない本物」
と、折り紙をつけられた。これで大騒ぎ、駆けつけた記者団に対して、彼は写真お断わり、匿名希望の条件付きでインタビューに応じた。
「これは国家的遺産の1つ。スコットランドに寄付するのが筋道だと思いませんか?」
「寄付したいのは山々です」
彼は悲痛な声でうめいた。
「でも、いま私はカネが必要な状況に置かれているのです」
一方、本物の情報に飛び上がったR&Aでは、面子にかけても買い取る義務だけは承知するものの、具体的にどの程度の金額が必要なのか、皆目見当がつかない。
「きみ行って、とにかく競り落してくれ」
「それほどの大役、私には出来ない。他の者を指名してくれ」
融通が利かないことでは世界一、スコットランド産の石頭が右往左往しているあいだに競売が始まった。ようやく会場に駆けつけた役員は、予想外の高値にたじろいで、ほとんど手を上げるいとまもなかった。
最後まで競り合った人物は3人、うち1人は資料的価値を十分に承知しているイギリス人だったが、悠揚迫らぬアメリカ人富豪に太刀打ちできず、わずか24ページの初版本は「15000ドル」で大西洋の向こう岸に渡っていった。富豪はそれを全米ゴルフ協会に気前よく寄付。以後R&Aでは、この話題が禁句となった。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。