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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第16回は、世界最古のトーナメント「ジ・オープン」の第1回が開催された数日後に起こった事件と、そこにかかわった不屈の男たちの物語。

夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」その16 不屈の美学(ダンディズム)

最古のトーナメントの発端とは?

失恋した中年女のように、スコットランドの天候は千変万化の気まぐれで知られる。とくに1860年の秋は異常だった。10月初旬に真夏日が5日も続いて、ピースの可憐な花が狂い咲きしたのも束の間、一夜にして腰の重い低気圧が沖に居座ると、霙(みぞれ)まじりの強風が間断なく大気を切り裂き、ときに雷鳴まで轟いたと記録に残る。

10月17日、水曜日、8人のプロがプレストウィック・クラブに集まり、1日で36ホール、過酷なストロークプレーに挑み始めた。

その前年に死去した「プロの始祖」、アラン・ロバートソンの後釜争いがゲームの目的、勝者にはプレストウィックのプロとして永久就職が約束された。折からの強風の中、マッセルバラ出身のウィリー・パークが「174」のスコアで優勝、トム・モリス・シニアは2打及ばなかった。

ところが周囲から、プロだけの試合は閉鎖的すぎると非難が出たため、翌年から一般ゴルファーにも門戸が開放されると同時に、さかのぼって前年度のゲームが「第1回全英オープン」に昇格したというのが真相。早い話、最古のトーナメントも発端はプロの就職試験だった。

天候、依然として定まらず、郵便馬車も運休する荒れ模様。その証拠に寡黙なるパットの名手、ウィリー・パークが後釜に迎えられたニュースがゴルフの総本山「R&A」(ロイヤル・アンド・エンシェント)に届いたのは、試合から4日も経過した10月21日の朝のこと。

その朝、折しもセントアンドリュースでは恒例の「秋季杯」が開催されるはずだった。ところが未明から風雨一段と激しさを増したため、選手たちはクラブハウスで足止めを食っていた。そこに「パーク優勝」の知らせ、ひときわ喜んだのが1860年度のクラブのキャプテン、メイトランド・ドーガルである。裕福な海運業の一家に生まれた彼は、ロンドンとアムステルダムで教育を受けたのち、故郷のマッセルバラに戻って私立学校を創設、セントアンドリュース大学に迎えられて歴史を教えていた。1887年に刊行された『倶楽部史』によると、

「メイトランド氏は性格温厚にして教養高く、類稀なユーモリストでもあった。その人柄は、多くの友人と学生に慕われた」

と、紹介されている。ウィリー・パークとは故郷が同じ、幼いころからクラブを交えていたが、長いホールに限って1打のハンディを貰うだけのライバルだったというから、ゴルフの腕前も一流である。

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おとなの週末Web編集部 今井
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