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プライベートくらい、自分のペースでゆっくり決めてもいいじゃない

世の中、大体の場合はどんな選択をしたって構わない場合が多い。

だから「何をそれくらいで何を悩んでるんだよ」ってイラつかれることもあるかもしれません。

「大したことねぇんだから早く決めろよ」だなんて言われた日には拳を食らわせてやって構わないと思います。自分の価値観で他人の判断スピードを強要する人間は、相手にすべきではないのだ。

仕事であればある程度は仕方ない。報酬に対しての対価を提供しなければならないから、その範囲で叱咤されるのは仕方ないのかもしれないけれど、それをプライベートに持ってきた輩には鉄槌を下してやるといい。

そういう人間に合わせて、日常から無理して心をすり減らして物事を無理やり選択していく必要もないんです。

物事を決められないという性質を持ったとしても、大丈夫ですよ。それよりもお釣りがくるほど素敵な魅力が優柔不断にはある訳ですから。

そもそも、優柔不断の原因も元を辿れば「AでもBでもどっちでもいい」と興味がないんですよ。どちらの選択肢にも強く心惹かれないから、本当にどっちでもいい、という理由から決められない人間もいるんですよ。

だから興味がない人ものに対して誰かに決めて欲しい、と思う訳で。本当に興味があることだったり好きなことはすぐ決められる場合が多い。

だから、判断を決めかねてしまう場合、他人に判断を委ねてしまうのがいいかもしれません。

誰かと一緒にお店に行ってメニューを決めかねている時は、一緒に行っている人と同じものにする、とか、お店の人にオススメを聞いて、それを注文する、とか。

最終的に決めるのは自分であっても、考慮する材料を他人から拾ってきたって構わない訳ですから。

誰だって「どうでもいいこと」に対しては優柔不断

私も優柔不断な人の気持ちは少し分かります。選択をするって、エネルギーがいりますからね。

選択肢を天秤にかけて、どちらが自分の利になるのか、それが長期的な目で見ての判断なのか短期的な目で見ての判断なのかによっても下す決断は変わってくるし、それをいちいち全ての事柄に対して理論的に、理性的に決定するのって疲れる。

判断疲れってあるんですよ。ただでさえ仕事でカロリーの高い判断をしているのだから、私生活くらいは判断をしたくない、と思う瞬間も多い。

だから、私は、自分を優柔不断か、という問いに答えるのであれば、YESでもありNOでもあるんです。

どうでもいいことは判断するのも面倒だから、他人に任せることも多いために、優柔不断だと言われても仕方ないくらい態度が決められないこともあるし、そういう人の気持ちも分かる。

仕事であれば情熱を向けて判断するための思考を巡らせて、強く意見を持つことができるから、その瞬間を切り取れば、優柔不断の一面なんて感じられないでしょう。

けれど、その熱量を各所に持つことは難しいから、判断できるものとできないものは極端に分かれている。

私以外にもきっと、そういう人もいると思うんですよ。優柔不断だと言われる人は、全ての分野に優柔不断な訳ではないのではないんじゃないかなと思います。

どんな人だって、どうでもいいことには優柔不断になる。しかもそれは悪いことではないのだから、余計に気にする必要はないんじゃないかなと思います。

加えていうのであれば、悩める幸せってあるんですよ。

例えば、金銭的に余裕がなければ、牛丼かステーキか、という二択の悩みにすらならないんです。

仕事でもAの案件かBの案件か。
案件の内容でも、あんな内容にするか、こんな内容にするか。

そんな裁量を持っている状態だから、悩むということができるんです。

他者と何かを比較するものではないのだけれど、裁量を持たせてもらえている環境というのは、恵まれていると言っていい。

せっかく、そんな悩む贅沢を享受できる立場にあるのであれば、苦しんで決めるのではなくて、悩むこと、悩めることに、幸せを感じて、他者に急かされたとしても自身の裁量の範囲内で優雅に焦ることなく選択するといいと思う。

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担当編集者からのひとこと...
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ティモンディ前田裕太
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