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食通王の妹が今際の際に望んだもの

音楽家たちが食に対してひたむきな姿勢を保っていた中で、なぜかモーツァルトだけがエピソードに登場してこない。

ピエール・ソワンゾという伝記作家は、モーツァルトの性格がそもそもエピソードになりにくい地味で気弱な男であったという。

『仄聞するところでは、モーツァルトは食事中におしゃべりすることを好まず、ひたすら黙々と好物の黄身が6個並んだ目玉焼きを食べるだけだった。また彼はスープ類に目がなくて、どんな種類のスープであれ、ひたすら黙々とすすり、お代わりをねだるのだった』

これならエピソードがないどころか、6個の目玉焼だけでも充分な逸話になるではないか。しかも《ひたすら黙々》というから、やっぽりモーツァルトも食べることにまじめな男だったのである。

フラソスの食通王の一人、ブリア・サヴァランは、フランス革命で国を逃げ出し、亡命先のアメリカでオーケストラのヴァイオリン弾きをやっていたから、まあ音楽家のはしくれといえるわけだが、そのサヴァランにベレットという妹がいた。

サヴァランは代表作『美味礼讃』を1冊と、ケーキにその名を残し、1826年に死んだが、妹のべレットは長生きだった。

彼女はある晩、夕食をたっぷりとたいらげてから女中を呼んだ。

「デザートを早く! いますぐに持っておいで!」

女中がけげんな顔をすると、ベレットは続けて叫んだ。

「早くデザートを! わたしは死にそうな気がするんだよ」

彼女はデザートをきれいに食べてから息を引き取った。99歳と11ヵ月だった。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

Adobe Stock(トップ画像:naka@Adobe Stock)

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おとなの週末Web編集部 今井
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