ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第28話をお送りします。
作曲の方が料理より簡単だと認めろ!
べートーヴェンもシューベルトも料理には目がなかった。ドビュッシーはデザートに凝るたちだった。
♣食卓で食べることを恥じる女は、台所へ行って立ち食いをする――ドイツの諺――
べートーヴェンも料理を作るほうでは相当に苦労を重ねたようである。というのは、ポール・ルプーという食通が『新しい料理』という本を出版した際、一冊をベートーヴェンに進呈している。その残された一冊にルプーの走り書きが残されていたのだ。
『べートーヴェン君。
君の豊かな天性と調和の妙は特筆すべきだが、かの日、君は革新的料理を作ろうと奮闘し、君を心から信頼していたわれわれ一同を食中毒で半殺しの目にあわせてくれたね。
あの一件で、シンフォニーを作るほうが、うまい食事を作ることよりはるかにやさしいという事実を素直に認めたまえよ。
ポール・ルプー』
一体べートーヴェンがどんな革新的料理を作ったものか、そのメニューの詳細は残念ながらわからない。
シューベルトは、まれにお金を持っているときがあると、友人を呼んで得意の「グーラシュ」を自分で作ってご馳走していた。この料理は、牛肉と玉ねぎを鍋に入れてトロ火で形がなくなるまで煮込んだものだが、天才は何をやらせてもひと味ちがっているもので、いまに残る「グーラシュ、シューベルト風」を考え出している。
これは鍋を火からおろす直前に、四角に切った仔牛の肝臓と腎臓を放り込むのである。これだけのことで、この料理はたちまち滋味深いものになった。しかし、赤貧のシューベルトがこの料理をふるまえたのは、1年に一度か二度のことだったという。