×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

icon-gallery

「目指せ、理想の大人」をメインテーマに掲げて始まった、「ティモンディ前田裕太の“おとな”入門」。自身の経験や見聞きしたエピソードから思考を広げてきた「コラム形式」から、次のステップへと進みます!
その内容は、「お悩み相談」です。これまで約1年半のコラム連載を通して、食・あそび・勉強・旅…と、様々なテーマで「(理想の)大人とは?」について考え、目指してきた (そしてこれからも目指していく)前田さん。その経験を生かした視点で、皆さんから寄せられたお悩み相談に答えていきますよ◎
第12回の今回は、「自分には向いていない」と思う役割を、人から求められてしまったらどうする?というお悩みです。

[今回のお悩み]

「自分はリーダーには向いていないと思う。それでもその役割を求められる時、どうすれば?」

私は10年以上保育士をしています。年齢によって、子ども何人に対し保育士何人という基準が決められている為、大抵は一つのクラスを複数人で担当することになります。その中でクラスリーダーが存在するわけですが、すっかり中堅になり、私は保育士歴の半分以上はクラスリーダーをしています。

後輩が増えていく一方で、指導する立場になるのは当然で、責任が若い時よりも伴っていくことも当然だと思っています。が、「リーダー」というポジションであることが本当に嫌なのです。責任をとりたくないとかそういうことは全くなく、だけど、例えばシフトで自分の名前が先頭にあるとかそんな些細なことでも苦痛に感じてしまうのです。

この人には任せられない、と思われていたら命じられることもないでしょうし、こうして何年も任せてもらえていることは喜ばしいとは思います。しかし、昔から誰かをひっそりと支えるような、サブリーダー的ポジションで生きてきた私は、リーダー気質ではないのです。

でも、そもそもリーダー気質って何?果たして本当の意味での相応しいリーダー像とは?と、何年やっても分かりません。

様々なリーダーがいていいと思います。正解も無くて良いと思います。私は自分から率先して指示を出したりすることは少ないけれど、共に働く仲間の様々な場面での結果だけでなく過程も大切にして、認め、褒めることは日々大切にしています。そして、複数担任だからこそ、リーダーが絶対!ではなく、みんなが納得出来る形で進められるよう意識はしています。

前田さんの思う「リーダーに相応しい人」はどんな人か、お聞かせいただきたいです。

(東京都・30代・女性・保育士)

現実とのギャップにストレスを感じるのは、「やりたいこと」があるからこそ

リーダーは様々な形がある。

大企業の社長と中小企業の社長では求められるスキルも異なるし、企画のリーダーなのか、部活のリーダーなのか、立場によっても、良いリーダーとされる像は異なる訳ですよ。

そんな一概には言えないリーダー論を語る上で、あえて理想のリーダーを挙げるのだとしたら「全員の代弁者」が理想のリーダーではないかと思う。

これはあくまでも少人数の組織で言えることなのだけれど、所属する人の意見が共有されやすい環境を作ることが一番の仕事ではないかと思う。

だから、所属している人間の意見に耳を傾け、所属している全員が、リーダーの意見であれば仕方ないと思わせるだけの傾聴力があるものがリーダーに相応しいと考える。

話は変わるけれど、私は高校まで野球をやっていたが、ずっとエースで4番になりたかった。

投げては頼れる大黒柱。打ってはチームの勝利を掴むホームランを連発できるスターになれると信じていた。

自分は上杉達也だと思っていたし、茂野吾郎だと思っていたし、年下だけれど存在していたら大谷翔平だとも思っていただろう。

早く夢砕け散れれば良かったものの、中途半端に幼少期に野球が上手くいってしまったせいで、自分の理想像が凝り固まってしまった。

なれなかったのは言うまでも無い。

やりたいことと、自分の出来ること、が一致している時は幸せなのだけれど、人間、そこが不一致になると途端に辛くなる。

なりたかった4番にはなれず、やりたかったエースもやれず、自分には無理だと分かった時は辛かった。やりたいことと、出来ることが一致していなかったのだ。

やりたいポジションではない起用方法で試合に出たとしても「こんなことがしたくて野球をやっている訳ではないのに」と不服に思っていた。

試合に出れてるからいいではないか、という意見もあるだろう。けれど、企画がしたくて入社したのに営業で働くことになり「入社できたのだからいいではないか」と断じているのと本質は同じ。

やりたいことがあるからこそ、現実とのギャップにストレスを感じてしまうのはおかしいことではないと思うんです。

だから、相談者さんの気持ちは、同じでは無いにしても理解できる。

いってしまえば、自分の持っている個性や好みと、所属している集団に求められていることに誤差がある時「これでいいのだろうか」と思ってしまう訳です。

自分がいくら得意なものでも、その集団の中では必要とされないこともある。逆に、自分が好きではないことでも、集団の中では重宝されることだってある。

自分のやりたいことをやって、それで周囲が評価してくれるような環境があればいいんですけどね。

社会に属して生きる以上、人との関わりを排して好き勝手生きることって難しいですよね。どう割り切っていくのがいいんでしょうね。

次のページ
「求められているだけマシ」と我慢する必要はない...
icon-next-galary
1 2icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

ティモンディ前田裕太
ティモンディ前田裕太

ティモンディ前田裕太

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。4月15日発売の5月号では、銀座の奥にあり、銀…