度重なる偶然! もしやへーゲンの亡霊!?
さて、未明まで机にしがみついてへーゲンと取り組んだ数時間後、郵便配達の声で起こされた。出てみると箱根の「富士屋ホテル」の秋山剛康総支配人からの速達だった。
創業1878年(明治11年)の富士屋ホテルは、日本の代表的ホテルであり、来日した賓客のすべてが宿泊したといって過言ではない。
また直営の仙石ゴルフコースは、明治天皇のために近在の住民が総出で建設した日本で4番目に古いゴルフ場であり、私にとっては古い資料の宝庫でもある。秋山さんは珍しい物が見つかると、いつも私に送ってくれるのだった。
その朝、到着したクリーム色の封筒を開けてびっくり、1930年6月6日付、来日中のへーゲンと、トリックショットで有名なジョー・カークウッドが揃って富士屋ホテルに宿泊、宿帳とは別に、
「A Wonderful place. Walter Hagen」
と、サイン帳に流麗な献辞が書かれてあった。その下にはカークウッドも素朴な文字で、「The best room」と添えている。へーゲンの文字は昨日書いたかといぶかるほど新鮮で力強く、かなりの達筆だった。
数時間前まで彼の晩年の世界に浸っていた私からすると、いきなり本人が現われたほどのショックである。それにしても、これはかけがえのない宝物、私の資料ファイルにまた一つ喜びが加わったことになる。
わくわくしながら机の上に封筒を置こうとして、すぐ横に置かれたファックスに何やら英文の便りが届いていることに気がついた。時差の関係から、私のところのファックスは深夜に忙しい。手に取って読むうちに、思わず鳥肌が立ってきた。
スコットランドに住む友人、ジム・ヒーリーとは15年来のつき合い。地元紙の記者をつとめる傍ら、彼はゴルフ史の研究に没頭して2冊のエッセイまでものしている。その朝のファックスは彼からの吉報だった。
「ケン、元気かね。元日こそ冷え込んだものの、2日からスコットランドはおだやかな日が続いている。ところで紹介してくれた人があってダンディの旧家を訪れたところ、その家の祖父が撮影した古い時代の全英オープンの写真が70枚も出てきたのだ。まさに新発見!
その中にはへーゲンとボビー・ジョーンズの珍しいスナップもたくさん含まれている。へーゲンの写真が20枚もあるとは驚いた。一刻も早くスコットランドに来なさい」
またもやへーゲンとは、一体どうなったのだろう。呆然と座り込んでいるとき電話が鳴った。ゴルフ仲間のI氏からである。財界の大物でもある彼は早朝の電話を詫びた上、息せき切った声で言った。
「ゆうべ、きみも知っているS氏の家に呼ばれて酒を飲んでいた。すると彼が亡父の形見だといって、へーゲン直筆のサインを見せてくれた。彼が2度目に来日した1936年4月29日の午後2時から、小金井カントリー倶楽部でジョー・カークウッドと演じたエキジビションマッチの際、プログラムにサインしてもらったらしい。S氏は散逸しないよう、きみに保管してもらいたいと言っている」
「ちょっと待って!」
思わず叫んだ。実は翻訳に取りかかる直前、赤星四郎氏が大切に保管していた小金井のエキジビションの半券が、次女の隅田光子さんから私の手元に届けられていたのだ。これも日本に二枚と残されていない宝物だろう。私は霊的資質に欠ける男だが、おぞましや、いまでは亡霊に悩まされている。
さて、へーゲンから自伝執筆の依頼を受けたヘミングウェイも困惑の極みだったらしく、次のように断わったそうだ。
「若いころ、少しだけクラブに触れたこともあるが、それっきり。だからゴルフについては何一つ知らないんだよ。ゴメンね」
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。