小説を書かずにじゃがいも料理の研究開発
同じくロシア人作家で、別名「馬鈴薯作家」と呼ばれたアクショーノフにもこれとよく似た話がある。彼が書いた『星への切符』はロマンあふれる名作だが、実生活では、少々ケタ外れのじゃがいも好きで、フェイエフという変名で“じゃがいも小唄”みたいなものまで書いている。
アクショーノフにいわせると、この地上にはじゃがいもにまさる見事なブロンドは存在しないというのだ。このブロンドを熱したかろやかな油の風呂に入れてやると、それはそれは見事としかいいようのない琥珀や黄玉の宝石に生まれかわって、食塩をふりかけると、この豊満な美女は晩秋の太陽に霧氷をまぶしたような気品と優雅に溢れるという。
そのあつあつを口に入れた瞬間の陶酔、無我、恍惚。
身も心も〔揚げじゃがいも〕の虜になったアクショーノフは、研究と開発に明け暮れてほとんど小説も書かなくなり、アメリカに亡命後、50歳の頃に2人の娘さんを使って、今風にいえばポテト・スフレ・ロシア風のチップ・スタンドを始めたところ、これが当たりに当たった。彼は5年間、売り上げに一切手をつけずに貯め込んで、ついにその金で生まれ故郷に立派なロシア正教の教会を建てている。まったく珍しい作家もいたものである。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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