ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第38話をお送りします。
10歳から飲み始め、タンクローリー400台分
一日六升を飲んで飲んで飲み続けながら宇宙的スケールの詩を書いた李白(りはく)は、ついに一生涯食事らしい食事は摂らなかった。
♣冷たいお茶と冷たいご飯は我慢できるが、冷たい言葉と冷たい態度は耐えられない――中国の諺――
「飲む」といえば、史上最高の吞ん兵衛が中国にいた。友人たちが書き残した日記類をもとに試算すると、1日平均6升(10・8リットル)を飲み干している。
あるときフト鏡をのぞいてみたら、気づかぬうちに白いものが混じっている。なみの人間なら毛抜きを持ち出すところだが、彼は筆をとって、
『白髪三千丈、愁に縁りて箇の似く長し』(白髪が伸びること三千丈に及ぶ。これもみんな苦労のせいだ)
とスケールの大きな詩を書きなぐる。
唐一代の詩人李白は、10歳のときから大酒を飲みはじめ、61歳で安徽(あんき)の親族李陽冰(りようひょう)を頼ってその地に没するまで、ちょうど丸50年間というものドブロクだけで生きた計算になる。
記録から割り出した量が1日6升、1ヵ月で約1石8斗、といってもピンとこないが、神社へ行くとコモをかぶって並んでいる大樽が4斗入りだから、1ヵ月であの大樽を4つ半飲んだことになる。これが1年になると21石と6斗、4斗樽で54個だ。ついでに電卓を叩けば、50年間で大樽は2700個に及ぶ。タンクローリー車にドブロクを満載して400台を越えるという、もう途方もないとしかいいようのない量の酒を1人で飲んで、固形物はほとんど口にしなかった。
あるとき友人の妻が李白の身体を案じて、
「お酒ばっかりではいけません。ほら野菜と魚も召し上がれ」
そういって皿に副菜を盛った。李白は素直にうなずいて、皿の上の小魚の干物を数匹ふところに入れ、
「これを折々のツマミにいただこう」
と持ち帰った。1ヵ月ほど経って李白がやってきたので、その妻はまた副菜を食べさせようとした。すると李白はそれを押しとどめて、
「この通り、まだ持っているので心配ご無用」
と、先日の小魚の干物をそっくりふところから出してみせたという。
李白は、人間がドブロクだけでも50年ぐらいは生きられることを証明した。
やれ血圧だ、コレステロールだとおびえながら、それでもシビシビといじましく飲んでるなんて、李白にいわせれば、
「そんなの、男じゃない!」
と一喝することだろう。