寝ているときも盃だけは離さなかった
李白は若いころから剣術が強くて、ひところはやくざ者の群れに身を寄せていたこともある。数人を斬り殺したともいわれる。
40歳をすぎてから玄宗皇帝に迎えられて宮廷詩人になると、楊貴妃のために、
『雲には衣裳を想い、花には容を想う。春風は檻を払いて露華こまやかなり』
の一句を書いて詩名を天下にとどろかせるのだが、もともと人に仕えるような性分ではない。玄宗が船遊びのお供を命じたところ、
「天子、呼び来れども船に上れざる」
のベロンベロンで、ついに宮廷を追われてしまう。生涯は徹底した放浪と無頼。若いころ唐の宰相許圉師(きょぎょし)の孫娘と結婚して2子をもうけているが、その妻子も捨ててあてどのない旅に出てしまう。
親友の詩人杜甫(とほ)が公務員試験に落ちて、妻子連れのわびしい放浪をしていたのとは対照的である。
その杜甫も李白の飲みっぷりには仰天していたらしく、
『李白一斗詩百篇』(李白は一斗の酒で詩を百篇つくる)
と皮肉まじりのおだてをいうと、李白はこれにこたえて、
『百年三万六千日、一日須らく傾くべし三百杯』(百年も日数でいえばたったの三万六千日、ならば一日にどうしたって三百杯は飲まなけりゃ)
と大きくうそぶいている。
寝ているときも盃だけは離さなかった李白は、われわれの次元を越えたところでひとり酒を友としてスケールの大きな夢とたわむれていた偉大なロマンチストだった。
『千古の愁を滌蕩し、留連して百壺を飲む。酔い来たりて空山に臥せば、天地は即ち衾枕』(積もる愁いをすすいで流し、居続けで100壺の酒を飲む。酔いがまわって誰もいない山でひっくり返れば、天がふとんで大地が枕よ)
どうだろう、この大きさ。どうせ飲むなら屋台のグチ酒はやめて、気宇壮大に李白酒といきたいものである。
『両人対酌すれば山花開く。一杯一杯復(ま)た一杯。我酔うて眠らんと欲す。卿(きみ)且(しばら)く去れ。明朝意有らば琴を抱いて来たれ』
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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