「三億円事件」をモチーフにした作品『閃光』などで知られる作家・永瀬隼介氏は、鹿児島県霧島市出身。最新作は、出身地・霧島の元刑事を主人公にした作品だ。地元愛あふれる永瀬氏が、自らつづった霧島、そして鹿児島の名店、歴史ある名所案内紀行を2回にわたって紹介する。今回は、その第2回。
「東洋のナポリ」の異名を持つ大パノラマ
霧島市の西隣、姶良市には日本一の巨木がある。蒲生八幡神社の大クス(樹齢1500年 国の特別天然記念物)がそれ。高さ30m、幹の周囲28m余りの堂々たる佇まいは、さながら緑の巨大な炎が燃え盛っているようで、見る者を圧倒する。
幹には8畳ほどの空洞があり、わたしが高校生の時分、初夏のころ、境内で催される闘犬大会を覗くと、取り組みを終えた傷だらけの土佐犬が法被姿の強面の飼い主と共に寝そべり、薫風に吹かれ、気持ち良さげにグースカ鼾をかいていたものだ。蒲生の大クスといえば、神聖な空洞の、そんなシュールな光景を思い出す。
姶良市と鹿児島市の境には、メジャーな観光ルートとは無縁の、しかし歴史的にとても重要な旧道がある。峻険な山中を姶良市から吉野台地(鹿児島市)へと上る白銀坂だ。距離にして約3kmの急峻な坂(高低差300m)はその昔、大隅国と薩摩国をつなぐ街道であり、明治維新後、錦江湾沿いの目も眩む断崖下に難工事の末、道路が築かれるまで、人々はこの急こう配の坂道を徒歩や馬、駕籠で往来したという。
鹿児島が生んだ文豪、海音寺潮五郎の代表作『西郷隆盛』の冒頭に、若き日の西郷と盟友、大久保利通が吉野台地から白銀坂へ下っていくシーンがある。二人は、「実によかなあ、この景色は」「いつ見てもようごわすなあ」と眼前に広がる錦江湾と桜島の絶景を誉めそやす。
実際、苔むした石畳の急坂の展望台から眺める大パノラマは、壮大で雄渾で、息を呑む素晴らしさである。鹿児島市は“東洋のナポリ”の異名を持つが、以前、彼の地に赴いたわたしは、ナポリ湾とベスビオ火山をじっくり見定め、虚心坦懐(多分、贔屓目も捨て)、確信した。鏡のごとき錦江湾と噴煙を上げる雄大な桜島の方が壮麗で迫力に富み、ナポリより美しい、と。そう、「ナポリを見て死ね」ならぬ「鹿児島を見て死ね」。
鹿児島市の見所は桜島をはじめ、様々な歴史的遺構、各種資料館・記念館まで数あれど、真っ先に訪れるべきは加治屋町だろう。
甲突川沿いのこの小さな町(周囲2km)からは、西郷、大久保の両雄をはじめ、隆盛の実弟の西郷従道、従兄弟の大山巌、それに東郷平八郎、樺山資紀、山本権兵衛など、幕末から明治にかけて活躍した英傑を多数輩出している。かの司馬遼太郎をして「明治維新から日露戦争まで、一町内でやったようなもの」と言わしめた、極めて特異な土地である。
現在、各人の生地に記念碑が建ち、歴史ミュージアムも整備され、明治維新ファンを中心に、訪問者は引きもきらない。この、時代の大きな歯車をギリリと回した綺羅星のごとき人材の輩出は、大乱世が生んだ奇跡とも、薩摩で代々受け継がれてきた郷中教育の賜物とも言われるが、その一方でシビアな異論もある。
拙著『霧島から来た刑事 トーキョー・サバイブ』では来鹿した東京の若い元ヤクザに、忖度なしの率直な感想を語らせている。薩摩っぽの誇りを胸に勇躍、加治屋町へと案内した主人公(鹿児島県警元刑事)には、この若僧の感想が噴飯ものの暴論にしか聞こえず憤慨するが――。イケイケの元ヤクザが開陳する“暴論”に興味のある向きはぜひ、ご一読を。