松平定知の「一城一話55の物語」

戦国の謎、石川数正はなぜ秀吉のもとへ行ったのか 国宝5城「松本城」と、引き抜かれた“ナンバー2”

松本城(「Webサイト 日本の城写真集」より)

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ…

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

伏見城や岡山城と同じ年に完成

松本城は国宝五城のひとつです。国宝はほかに姫路城、彦根城、犬山城。松江城とありますが、漆黒の五重六階の天守を持つ松本城は、たいへんに人気があります。堀から大天守の鯱までは29・4mの偉容を誇り、下見板の黒と白壁が美しく調和し、冬に訪れるとバックに雪を頂いた北アルプスが望めます。

在の松本城を築城したのは石川数正です。正確に言うと数正が建設を始め、息子の康長の時代に完成しています。天守の築城は文禄2(1593)年から文禄3(1594)年頃と考えられていますが、文禄2年といえば、まだ豊臣秀吉が存命で、吉野の花見が行われており、伏見城や岡山城が同じ年に完成しています。

ドローンで空撮した松本城の風景  zheng qiang@Adobe Stock

松本城だけに見られる連結複合式の天守

当初完成した大天守、渡櫓、乾小天守は、戦いの多い時代だったためまとまっており、連結式天守と呼ばれます。鉄砲戦を想定し石落や狭間が多く、窓が少ないなどの特徴を持ちます。いっぽう寛永11(1634)年には辰巳附櫓、月見櫓が完成しました。こちらは大天守とあわせて複合式天守と呼ばれ、平和な時代に作られたために戦う備えはあまりありません。

松本城はこの二つの特徴をあわせ持つ、連結複合式の天守なのです。日本の城では松本城だけに見られるもので、松本城が何度見ても飽きないのはこのせいでしょう。

冬晴れの松本城と北アルプス  shiryu01@Adobe Stock

徳川家の“外交担当”

この松本城の築城を始めた石川数正は、もとは徳川家康の筆頭家老でありながら、豊臣秀吉のもとに出奔した人物として知られます。この出奔の原因は何か? 現在も戦国時代の謎として残っています。

石川数正は、家康が今川家に人質になっていた時代から仕え、徳川家では主に外交を担当していました。家康が三河一向一揆で苦しめられた時には、自ら一向宗から浄土宗に改宗し、家康を支えました。

また、桶狭間の戦いの後、家康は岡崎城に戻りましたが、正室(築山殿)と長男・信康は今川の領地であった駿府に残されたままでした。それを人質交換で奪還したのも、誰あろう石川数正です。ちなみに築山殿は瀬名姫と呼ばれ、母は今川義元の妹で、義元にとっては姪にあたります(母は義元の妹ではないという説もありますが)。それ故、戻っても岡崎城に入ることは許されず、城外の築山に幽閉されたことから、築山殿と呼ばれることになります。

清州同盟の成立に貢献、家康の信任が厚かった

永禄5(1562)年の徳川と織田の軍事同盟、清洲同盟に尽力したのも石川数正でした。信長の長女・徳(督)姫が、家康の長男・信康に嫁ぐことで、同盟は強固なものになりました。その後も、元亀元(1570)年の姉川の戦い、元亀3(1572)年の三方ヶ原の戦い、天正3(1575)年の長篠の戦いと、いずれも武功を挙げています。

しかし、天正7(1579)年、助け出した信康と築山殿は、徳姫からの訴えで武田方と内通したという嫌疑をかけられ、信長の命により信康は切腹、築山殿は殺されてしまいます。さぞや石川数正は無念だったでしょう。

天正10(1582)年、本能寺の変の直後に、家康が命からがら岡崎城へ帰参した際も、石川数正が随行しています。直後の秀吉が明智光秀を討った山崎の合戦の戦勝祝いに、家康から秀吉のもとに遣わされたのも石川数正でした。いかに家康の信任が厚かったかがわかります。

松本城 ten9@Adobe Stock

一族郎党100人余りを率いて、秀吉のもとへ

天正12(1584)年、秀吉と家康が直接激突した小牧・長久手の戦いが起こります。小牧では家康の完勝、長久手では秀吉がその政治力で勝利したといわれますが、徳川方の交渉役トップが石川数正でした。

この時、徳川方では小牧で勝利したこともあって、主戦論が大勢を占めていたといわれます。いっぽう石川数正は、秀吉が合戦を望まないことを知っており、和睦という道を選択します。お互いのメンツを立てて引き分けにするということです。

交渉が終わった天正13(1585)年11月13日石川数正は一族郎党百人あまりを率い、秀吉のもとへ奔ります。理由はいくつか考えられますが、講和を優先したことで、主戦論だった徳川陣営のなかでの孤立を生んだのかもしれません。

もちろん、秀吉からの熱心な誘いはあったのでしょう。さらに、先にお話ししたとおり、後見役を務めていた家康の嫡男・信康の切腹で、家康への不信感が生まれたことも一因でしょうか。すべてがない交ぜになっての結果だろうと思います。その後は秀吉に重用されて和泉10万石を与えられ、天正18(1590)年の小田原征伐後は、信州松本8万石(10万石とも)に封ぜられます。

松本市の風景 CJ Nattanai@Adobe Stock

優秀なナンバー2

石川数正の出奔当時、家康は相当ショックだったようで、当然家臣団にも動揺が走ったはずです。家康は急きょ自国三河国の防備を固め、秀吉方に軍事機密が漏れないよう、軍制を甲州(武田)流に改革したと伝えられています。家康は数正を相当憎んだと思いますが、息子の康長が関ヶ原の戦いで東軍についたことで、所領は安堵されます。しかし康長は、慶長18(1613)年の大久保長安事件に連座して改易されています。

石川数正の生き方は、謎のままです。でも確かなことは、そのことによって。彼の評価が減殺されない、ということ。つまり石川数正は、我々が知る以上に優秀なナンバー2だったのです。

【松本城】(別名・深志城、ふかしじょう、烏城、からすじょう)
永正元(1504)年、信濃の守護だった小笠原氏一族の島立貞永(しまだち・さだなが)によって深志城が築城。一時、武田氏の侵攻を受けたが、家康の配下だった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名した。豊臣秀吉の小田原征伐の後、石川数正が入城。城郭と城下町の整備を始め、息子の康長の代となる文禄2~文禄3年に完成している。明治維新後に天守が競売にかけられたが、地元の有力者によって買い戻された。天守が現存する12城のなかでは唯一の平城で、昭和11年国宝に指定。松本城が黒いのは、築城当時黒一色だった大阪城にあわせ、秀吉への忠誠を誓ったものと考えられている。
松本城天守観覧時間:8時30分~17時(※2024年のGWや夏季は8時~18時、正月三が日は10時~15時半)
観覧料:大人(高校生以上)700円、小中学生300円
開場日:年末(12月29日~31日)を除き無休
住所:長野県松本市丸の内4-1
電話:0263-32-2902

松本城 Phattana@Adobe Stock

【石川数正】
いしかわ・かずまさ。1533~1593年。三河の国に生まれる。徳川家康が今川義元の人質になっていた頃から仕え、三河一向一揆で家康が苦しめられると、浄土宗に改宗し、家康を支えた。また、織田信長と交渉を行い、清洲同盟の実現に尽力した。三方ヶ原の戦いや長篠の合戦などでも活躍し、岡崎城代も務めた。家康が秀吉と戦った小牧・長久手の戦いのあと、秀吉の元へ出奔。天正18(1590)年、北条氏が滅びると、松本8万石(10万石とも)に封じられる。松本城の築城を始めるも、完成の前に死去。享年61。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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