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 ずいぶん長く家電メーカーに勤めてきた。冷蔵庫やエアコン、洗濯機やテレビなど、おおよそ家電と呼ばれる製品のほとんどすべてを製造する会社である。

 しかしメーカー勤務といっても、私が従事したのは作ることではない。そのほとんどの時間を、売ることに費やしてきた。作った家電をできるだけ多くの人に選んでもらえるようにする仕事。つまりは広告である。

 一方で広告といえば、そのモノやサービスを買うことであなたにもたらされる幸福を語るのが常套句だろう。言い換えると私はずっと、家電にまつわる幸福のイメージを喧伝してきたのだ。

■「私はずっと、家電にまつわる幸福のイメージを喧伝してきた」

「ずいぶん長く」といっても、読む人にとってはあいまいな表現かもしれない。だからとりあえず、いまから15年ほど昔にさかのぼる時間を考えてほしい。

 15年前といえばちょうどスマホが爆発的に普及しはじめた頃である。このあたりを境に、われわれは生活も社会も、それどころか対人関係や会話、あるいは記憶や思い出の保持の仕方まで、ガラガラと変化にさらされる世界へ分岐していったのだと思う。

 とにかくスマホの普及を挟んで、われわれは家族ごと変わってしまった。そういえば私が勤める会社は、携帯電話と呼ばれる頃から、通信する家電を連綿と作り続けている。

 スマホ普及の直前から働き出した私は、上司や先輩から「家電とは家族の幸福の象徴である」と教えられた。そのアドバイスは、右も左もわからぬ新人の私に「だから自分の仕事に誇りを持て」と励ましたかったのかもしれない。

 洗濯機・冷蔵庫・テレビが三種の神器ともてはやされた時代は、さすがの私も歴史の教科書の出来事だったし、その後の映像や音響機器あるいは通信機器が百花繚乱に進化を遂げる時代もリアルタイムに経験したわけではない。

 私は日本の家電の黄金期を知らないまま、遅れてそれを広告する仕事をはじめた。かろうじて、大きなテレビが据えられた場所をお茶の間と呼び、そこが家庭の中心であるという世間のコンセンサスがまだあった頃だ。

 だからほんとうは、家電が家族の幸福を象徴すると言われても、私にはピンと来なかった。

 どちらかというと、しあわせはインターネットの向こうにあると思っていた人間である。どうせならもう少しはやく生まれたかったと恨みながら、私は実感も手応えもないままに、「家電と幸福」とタイトルをつけたご家族一行の石像を、お客さんの頭の中に作ろうとしてきた。

 それはリビングでテレビと佇むCMの俳優さんであったり、冷蔵庫の奥で食卓を囲む一家四人のカタログ写真であったり、塵ひとつ落ちてないインテリアのサムネイル画像であったり、子どもや未来といったワードが踊るキャッチコピーであったりと、姿を変えながら大小さまざまな広告に、どうにか家電と家族の幸福イメージを埋め込もうとしてきたのである。

 なぜならそれこそが、家電を売るためのもっともたしかな手段であると教えられてきたからだ。それが正しかったかは、私が働く会社をとりまく現状が、如実に物語っているだろう。

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■「スマホは【家族みんなで】にとどめを刺した」...
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山本隆博
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