20世紀にはバブル期があった。そしてラーメンバブルもあった。そんな時に食べた、あの熱い一杯。『おとなの週末』ライター・カーツさとうが、時を経て今、ひさかたに味わえば…ああ蘇る、あの時代、あの喧騒。 ラーメンは時代の記憶も…
画像ギャラリー20世紀にはバブル期があった。そしてラーメンバブルもあった。そんな時に食べた、あの熱い一杯。『おとなの週末』ライター・カーツさとうが、時を経て今、ひさかたに味わえば…ああ蘇る、あの時代、あの喧騒。
ラーメンは時代の記憶も蘇らせる。
写真・文/カーツさとう
ラーメン食べつつ喧嘩する 愛の行く末
西麻布『赤のれん』は実は行ったことがない。
『おとなの週末』編集・武内が昔よく行っていたらしく、今回、初めてふたりして行ってみることに。この店が提供するラーメン……九州の豚骨ラーメンを初めて見たのは40年前。
渋谷の東急ハンズの横に、たしか『ふくちゃん』という店がオープンしたのだ。
驚愕した。だってラーメンのスープが白いんだもん。東京生まれの人間は、当時そんなラーメンを見たことがないからね。
どんな味?と思ってスープをすすれば、初めて味わうまろやかな濃厚さに二度目の驚愕。放射状に仕切られた円形の薬味入れがあり、辛子明太子が入れ放題で三度目の驚愕もしたのだった。
バブル期の行列ラーメンとして忘れちゃならないのが恵比寿の『香月』!カウンターに並んだ客全員の麺の硬さなど細かいオーダーも全部覚える店員さんが有名だったが、バブル以前は、明治通り沿いの恵比寿と渋谷の間辺りに店舗があって、初めて食べたのはそっちのお店だったな。
オレと先輩ライター、そしてその先輩の彼女の3人で食べたのだが、なぜかその先輩と彼女が店内で大喧嘩を始め、おしぼりを投げ合いだした。しかし、食べ終わるとふたり仲良く帰っていった。ラーメンも恋も熱い時代だった。
空前の細麺ブーム
『一心ラーメン』。昔は今の店舗と外苑東通りを挟んだ反対側にあった気がする。当時、看板にある麺が“日本一細い”ってことについて「他の店も細い麺を出し始めると、負けじとどんどん細くなる。
最終的には裸の王様みたいに、麺がまったくない丼を出して『これが一番細い麺です』ってことになる」と語っていたのは、いとうせいこう氏であった。
世田谷代田の伝説の繁盛店『なんでんかんでん』は紆余曲折を経て今、西新宿にある。そこでラーメンを食べ、世田谷の店に取材で伺った時のことを思い出した。
白ブリーフ一丁でラーメンを食べる『ラーメン男爵』とかいうヒドいキャラクターに無理矢理仮装させられて入店した。すでに時の人だった川原社長も在店していたが、そんなとんでもない格好のオレに、あんな有名人が快く接してくれて、あ〜この人は器がデカいと心底思ったなァ〜。
90年代「ラーメンバブル」がやってきた
90年代初頭。バブル景気は崩壊した。しかしその後、ラーメンブーム的なものがあり、ラーメンバブルがやって来た。
すでに港区で遊ぶことが少なくなったオレは、中目黒でよく呑むように。その締めに行ったのが『百麺』だった。
そういえばもう一軒、中目黒でよく行ったラーメン屋があった。東横線のガード下にあった、今は陰も形もない『夕焼けラーメン』という店。友人は、そこでラーメンを食べると「哀しい気分になってくる」と言っていた。
理由は「店名が『夕焼け』だから…」だと。彼の幼少期に一体何があったのだろう…。
「チーズたっぷり」にバブルの残り香をみた
恵比寿の『ちょろり』も今回初入店。こちらも編集武内が昔よく行ったという。気付いたのは、炒飯を食べる人がやけに多いのね。それもラーメンとセットで食べてる。
自分も若い頃は、そのくらい食べられたかもしれないが、今は完全に無理。このラーメンの食べ歩きも終盤に差しかかり、老化というものをも痛感しだしてきた。
『九十九ラーメン』は、出てくるラーメン自体がいまだバブルっぽい。なにしろ粉チーズが山盛りかかってんだもん。この店に初めて行った時は、知り合いの編プロの社長と一緒だった。
その社長はフィリピンパブの女の子ふたりを引き連れてやって来ていた。チーズが溶けトロッとなったラーメンの意外な旨さに感嘆しつつ、バブルが残ってる人はまだいるんだ…と思った。
そして!今回食べたラーメン店も、今だに残ってる。
かつてのように行列がなくともいい感じで店は回ってる。還暦過ぎてもあと少々生きる!!細いが切れないラーメンの麺を見て、そう自分に誓うのだった。
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…つづきの『80年代、東京 《青春のラーメン》ベスト4軒を 大特集…!「ホープ軒」「赤のれん」「らーめん香月」すすった一杯がしみじみ旨い』でも、なつかしのあのラーメンが勢揃い。
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