皇室の御用邸は、関東一円に3か所があり、栃木県那須郡那須町にある那須御用邸、神奈川県三浦郡葉山町にある葉山御用邸、静岡県下田市須崎にある須崎御用邸である。そのなかで、夏のご静養といえば昭和天皇の時代は、那須御用邸をよく利用されていた。時代が上皇陛下の平成に代わると、それまでの那須に加えて須崎御用邸でもご静養が行われるようになったが、そこで、“皇室御用達”の特急「踊り子」号が登場するのである。なぜ、在来線の特急を利用することになったのか。その経緯をひも解いてみたいと思う。
画像ギャラリー皇室の御用邸は、関東一円に3か所があり、栃木県那須町にある那須御用邸、神奈川県葉山町にある葉山御用邸、静岡県下田市須崎にある須崎御用邸である。そのなかで、夏のご静養といえば昭和天皇の時代は、那須御用邸をよく利用されていた。時代が上皇陛下の平成に代わると、それまでの那須に加えて須崎御用邸でもご静養が行われるようになったが、そこで、“皇室御用達”の特急「踊り子」号が登場するのである。なぜ、在来線の特急を利用することになったのか。その経緯をひも解いてみたいと思う。
※トップ画像は、“185系”を使用していたころの特急「踊り子」号=2021(令和3)年3月12日、東京都品川区西品川
昭和天皇の時代は、お召列車を利用
昭和の時代、天皇、皇后両陛下が鉄道を利用するときは、必ず専用の列車を仕立てた「お召列車」を使われた。それが、公式的な行事であろうと、ご静養という非公式な行事であっても、専用の列車であるお召列車を利用した。当時は慣例というか、むしろそれが至極当然のこととされていた。
昭和天皇、香淳皇后の時代は、ご静養に向かわれる際には“貴賓電車”を連結したお召列車が頻繁に走っていたこともあり、鉄道ファンでさえもその光景が当たり前になりすぎて、カメラを向ける者は少なかった。昨今の“撮り鉄ブーム”を考えると、なんとも贅沢な時代だった。
「国民と同じ手段で移動したい」
上皇陛下は”特別扱い”を好まれないとされ、即位直後のころは、昭和天皇が乗られていた御料車や貴賓車といった皇室用の鉄道車両には乗られなかった。では、どうしていたのかといえば、「国民と同じ手段で移動したい」と希望されたという。
これは、上皇陛下が皇太子の時代から行っていた鉄道の利用方法でもあり、公式的なご公務であろうと、非公式なご静養であろうと、それは変わらなかった。つまり、新幹線や在来線の特急電車で、天皇、皇后両陛下と同じ列車に乗り、“鉄道の旅を満喫”できた時代があったのだ。
臨時の特急電車、一般の利用者にも開放
夏の時期といえば、多くの旅行客であふれかえり、特に伊豆へと向かう列車は混雑をきわめた。そのような状況下に、天皇、皇后両陛下が通常運行の特急列車に乗ることなど、警備や警護といった事情を考えると、ありえないことであった。そこでJRは、臨時に仕立てた特急電車を走らせ、グリーン車には天皇、皇后両陛下にお乗りいただき、残りの空いている車両は一般の利用者に開放した。
つまり、旅行客なども利用できる特急電車とはいえ、天皇、皇后両陛下が乗られている電車でもある。時刻表に載せるわけにもいかず、指定席券も直前になって発売を行なう、といった対策がとられたそうだ。その結果、運よく指定券を購入できた人だけが乗れる、いわば、”プレミアム”な特急「特急スーパービュー踊り子」号や「特急踊り子」号が走ることになった。
防弾仕様のグリーン車があった
当時、天皇、皇后両陛下が乗る車両は、同系車と同じ色、形をしており、普段は通常の列車として運行していた。しかし、そこには「防弾車」という秘密が隠されていた。車体は厚い鉄板で補強され、窓も防弾ガラスになっていた。座席は、特別なものではなく、通常の車両と変わらないシートだった。
今となってこの話ができるのは、このような“乗車方法”が行われなくなった2005(平成17)年以降19年が経過したことと、防弾車といわれた特急「スーパービュー踊り子」号や特急「踊り子」号用の車両2形式も、すでに廃車・解体されているからだ。
緊張感がみなぎる運転台
通常の特急「スーパービュー踊り子」号や特急「踊り子」号にカムフラージュした“臨時列車”には、いつもと違う光景が見られた。運転席には、運転士のほかに数人が乗り込み、車内のいたるところに制服の鉄道警察官が乗り込んでいる。途中駅では、駅長が敬礼で列車を出迎えて見送る。偶然にも乗り合わせた旅行客ですら、ただならぬ気配を感じ取っていたほどだ。
筆者も、この特急踊り子号に乗車したことがある。まさに「お召列車」に乗車しているのかと、錯覚を起こしたほどだった。そして、そこには鉄道マンとしての誇りと責任感でハンドルを握る運転士の姿があった。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。