そもそも『青春のトマト焼きそば』とは?
『青春のトマト焼きそば』公式サイトによれば、それは以下のように定義されている。
- 焼そば麺にトマトソースをかけるのが中央市流
- トマトソースには中央市産のトマトを使用する
- 山梨県産甲州富士桜ポークを使用する
- どんなに素材・製法にこだわっても価格は一千円前後に抑える
- どこか懐かしく、食べると元気になる青春の味である
そもそも、商工会青年部が祭りに出展した屋台が『青春のトマト焼きそば』のきっかけなのだそうだ。フィーチャーする材料は、山梨県産ブランド豚の甲州富士桜ポークと、山梨県中央市特産のトマト。トマトで知られている土地なのだから、これは必然的な話だ。
そして、開発にあたり意識したのは ”昭和40年代〜50年代によく食べた、今はなき、山梨県内のチェーン喫茶店で提供されていた「ミート焼きそば」” とある。
ああ、あれか、と地元民ならこの記述にピンとくる。これはつまり『きねやの焼きそば』を意識したということだ。後に『キネドールきねや』と名前を変え、昭和後期の山梨県を席巻した洋菓子/喫茶チェーン店が『きねや』。店頭で洋菓子を売り、バックヤードが喫茶空間という店舗スタイルで大成功を収めた『きねや』は、昭和の山梨の若者たちに熱狂的に受け入れられていた。
当時のきねやの看板メニューはふたつある。洋菓子店としてのボンシュー(今でいうエクレア)と、喫茶店としての焼きそばだ。さらに昔を知っている人は団子というが、ここでは割愛しよう。
喫茶店としての看板メニューであった『きねやの焼きそば』を言葉で説明するには、「スパゲティ・ミートソースを焼きそばの麺で作った一皿」というのが最も近いだろう。中太の角麺と、野菜の爽やかさよりもソースのくどさが前に出たミートソースを、金属の皿とフォークで食べさせるきねや独特のスタイルは、焼きそばという言葉から離れた無国籍感を醸し出していた。
感覚的な物言いを許してもらえば、これは長崎のトルコライスの立ち位置に近い。トルコライスと違うのは、地元の食文化として定着しなかった点だ。一時は隆盛を誇ったきねやも、時代の波にさらわれるように店舗数を減らし、昭和の末期に救済合併される形で喫茶業態を終えてしまった。独特の焼きそばの味も、当時のヤングたちの記憶に残るのみである。