酒の造り手だって、そりゃ酒を飲む。誰よりもその酒のことを知り、我が子のように愛する醸造のプロ「杜氏」は、一体どのように呑んでいるのか?蔵の未来を担う酒造りにはチョークとギター。味わいの吟味にはソウルフードが欠かせない。孤独と向き合いながら蔵を守る、杜氏の哲学を伺った。
2012 年、群馬県前橋市『柳澤酒造株式会社』の杜氏に就任
【柳澤圭治氏】
1973年、群馬県生まれ。東京農業大学醸造学科卒業後、いくつかのアルバイトを経て、1998年に家業の柳澤酒造(群馬県前橋市、「柳」は本来は「卯」の左側が「夕」)で蔵人の欠員補充として初めて酒造りを手伝う。1999年から正式に蔵人になる。2012年に杜氏に就任。
慣れ親しんだソウルフードと共に
「よく冷えているなら常温に戻るまで、燗なら自然に冷めるまで、いろんな温度帯で風味の変化を確認しながら酌む。職業病みたいなもんですね」と杜氏は言った。
「桂川」「結人(むすびと)」を醸す柳澤酒造の杜氏・柳澤圭治さんだ。「結人」は2000年に開発に着手した新銘柄。新たなニーズに応えなければ蔵の未来はないとの判断からだ。
試行錯誤を重ねて4年後に「結人」をリリース。売れるまでにさらに数年を要した。これまで五百万石を使ってきたが、20周年となる今年は初めて山田錦でも醸した。その一杯をじっくり啜る。
「醸造期間はひとりで蔵に泊まり込んで2時間おきに麹をチェックしてるんで、飲めません。ただでさえ眠気と闘って醸造タンクにチョークで絵を描いたり、ギターかき鳴らして絶唱したり(笑)、眠くなっちゃうんで夜の飲酒は厳禁。醸造から解放されたら晴れて、こうして気兼ねなく飲めるんです」
この晩、休憩室のテーブルにはチーズと焼鳥、タケノコの煮物が並んだ。チーズは知り合いの工房「スリーブラウン」がブラウンスイス種の牛の飼育から手作りしたもの。タレの焼鳥は「群馬県人なら誰もが好きなはず」という地元企業「登利平」の定番品だ。
「東京に住む姪がこっちに帰ってきて真っ先に食べたいって言うのが、ここの鳥めし。自分もガキの頃から大好きです。そんな風に自分のソウルフードを食べて、飲みたい酒を飲むのが最高の晩酌じゃないですかね。ペアリングとかマリアージュよりも、自分はそっちの方が大事だと思うんです」
“結人”という名には蔵人だけでなく、米農家、酒販店、飲食店、消費者など多くの人の結びつきがあってこそ酒は存在するとの想いを込めた。特約店のみの流通を守り、蔵での一般販売はしない。
「自分は杜氏。できるのは米を酒に変えることだけ。さらに酒をお金に変える能力は自分にも兄の社長にもないし、そこは酒販店や飲食店の領分だからお任せしたい。結人は蔵を出たら柳澤も群馬も関係ない。本当は製造者も記載したくない。結人は最後に手にした方の酒。お一人おひとりが自分の酒として自由に楽しんでほしいです」