寿司の名店『銀座久兵衛』に新卒で就職、TOEIC900点の英語力で世界のVIPをもてなした寿司職人が独立 『神田錦町 鮨 たか晴』店主が店を構えるまで

日本で最も有名な寿司店の一つ『銀座久兵衛』(東京・銀座)で、オバマ元アメリカ大統領と安倍晋三首相(当時)の会食を担当した寿司職人が東京・神田錦町で独立を果たした。『神田錦町鮨たか晴』の木目田隆晴(きめだ・たかはる)さん(39)は大学を出て新卒で『銀座久兵衛』に入った寿司職人としては少々変わった経歴の持ち主。どうして寿司職人になったのか、なぜ世界のVIPをもてなすことになったのか、その人物像を探った。

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日本で最も有名な寿司店の一つ『銀座久兵衛』(東京・銀座)で、オバマ元アメリカ大統領と安倍晋三首相(当時)の会食を担当した寿司職人が東京・神田錦町で独立を果たした。『神田錦町 鮨 たか晴』の木目田隆晴(きめだ・たかはる)さん(39)は大学を出て新卒で『銀座久兵衛』に入った寿司職人としては少々変わった経歴の持ち主。どうして寿司職人になったのか、なぜ世界のVIPをもてなすことになったのか、その人物像を探った。

『銀座久兵衛』に就職したきっかけ、大卒入社が珍しかった時代

2024年7月23日、東京・神田錦町にオープンした『神田錦町 鮨 たか晴』は近隣の住民や、大手企業がオフィスを構える大手町界隈も含めたビジネスマンたちの間で話題になっている店だ。開店からひと月余りだが、すでに複数回リピートする客が出ているだけでなく、週末は予約ができないことも。

朗らかにゲストを出迎えてくれる大将の木目田隆晴さんが、『銀座久兵衛』に入社したのは2010年。11年間にわたり腕を磨き、勤め上げた。

今でこそ、大卒の職人は珍しくないだろうが、彼が入社した当時はまだ、料理の専門学校を出て入社する職人がほとんどだったという。

『神田錦町 鮨 たか晴』の木目田隆晴さん

オバマ元大統領、安倍首相を接遇

先に書いた通り、2018年3月25日に『銀座久兵衛』で行われたオバマ元アメリカ大統領と安倍晋三首相(当時)の会食を担当した木目田さん。実際に寿司を握り提供したのは、『銀座久兵衛』2代目の今田洋輔さんだが、木目田さんはその日の仕込みの全てとゲストへの接客を担当したという。

というのも、TOEIC900点という英語のスキルが彼をそのステージへと押し上げた一因であることは間違いない。

東京都町田市出身。都立高校を出て、東京経済大学に進学した木目田さん。高校生の時、「英語は赤点だったんですよ」と笑う。それがなぜ、実に英検準1級レベルもの英語の達人クラスになったのか。

「一人旅が好きで海外の方と一緒に旅する機会がありました。英語の勉強は好きではなかったけれど、コミュニケーションツールなのだと気づいたら楽しくなったんです」と話す。

カナダ留学で英語力を磨く、生かせるフィールドはないか

大学時代には約1年間休学してカナダに留学をし、さらに英語力に磨きをかけた。

「卒業後の進路を考えたとき、ちょうどリーマンショックのあとでした。手に職をつけて生きていくほうが賢明ではないかと考えました。それに熱心に勉強してきた英語のスキルと組み合わせたフィールドはないかと探していたところ、『銀座久兵衛』が偶然新卒採用を始めた年だったのです」

登録していた就職サイトの担当者が木目田さんの経歴を見てスカウトメールが届いたそう。

「料理をしたこともないし、寿司職人になるとは1mmも考えていませんでした。でも寿司職人に魅力を感じたのは、和食が世界的に認知され出してきていたタイミングだったこともあり、これから先の世界でも食いっぱぐれることはないだろうと思いました。外資系企業などで帰国子女や語学が堪能なメンバーの中で埋没するよりは、自分の強みがより活かせるのではということも、背中を押された理由の一つでした」

修業するなら一番厳しいところで

さらにこう話す。

「せっかく修業するなら一番厳しいところ、名前が通っているお店に行きたかったんです。そういう意味でも『久兵衛』は希望と合致していました。当時からインバウンド(訪日外国人客)も多く受け入れていたので、いずれ活躍の場はあるだろうと踏んでいたことも確かです。『久兵衛』に実際に入ってから、たくさんお話しするわけではありませんが、料理の説明やアレルギーの確認や宗教上召し上がれないものを確認するといった役割として、海外のゲストを対応する際に重宝がられました」

狙い通りのところにうまくハマった木目田さん。いざ寿司職人としての一歩を踏み出すことになった。

江戸前の仕事が施された、美しきコハダ

職人は「黙って10年は続ける」という父の教え

実家は造園業を営んでおり、職人である父の背中を見て育った。

「だから職人になることに抵抗感はありませんでした。『久兵衛』に入る際、父に言われたのは、職人の世界は黙って10年は続ける、ということでした」

『久兵衛』で学んだことは、寿司職人として、掃除から始まって仕込み全般、寿司屋さんとしての接客などひと通りのイロハ。「先輩によく言われたのは、『カウンターに立ってからがスタートだから』ということ」と木目田さんは、当時の教えを振り返る。

「本当に仕事が楽しくなり始めたのは、3年ほど経ってからです。裏でいろいろな仕込みを任せてもらえるようになってきてから。それまではカウンターに立つ板前さんの要望が理不尽だと感じることもありましたが、結局はお客様の声を代弁しているのであって、お客様のためを考えてのものです」

「裏にいるころはお客様の姿が見えないので、それがわからないんです。カウンターに立てて、お客様を目の前にしたときに初めて、裏で自分たちが仕事を施した素材がお客様の口に運ばれるまでの帰着がつながりとして理解できましたし、自分に何ができるのかを考えることができるようになりました」

10年で一人前の世界で「7年目」で久兵衛のカウンターに

寿司職人としての修業でよかったことは、自分の成長度合いが見えやすいことだと言う。

「例えば『久兵衛』なら、1年目は海老の仕込み、それから貝類やイカ、光り物、白身など、順を追って触らせてもらえるネタが増えて、できる仕事の幅が広がっていきます。振り返ったときに、ここまでやらせてもらえるようになったという実感を得られることができるのです」

美しいネタたちが並ぶ

寿司職人がカウンターに立てるまで、要するに一人前になるまで一般的に10年の修業が必要とされている。

木目田さんは、7年目で『久兵衛』のカウンターに立った逸材だ。当の本人は「ラッキーでした」と謙遜する。

「『久兵衛』の場合、白衣を着た職人・料理人は1年生からベテランまで40〜50人程度、まな板の数が16枚です。そのスタメンを取るというのがいかに難しいかということは改めて実感しています。

僕がカウンターに立てたのは7年間、誠実にやってきたからという自負はあります。プラスアルファ、英語の能力も評価されてのことだと思います」

「一生懸命にやることは大前提です。でも、5年目の職人には5年目なりの仕事、もっと年季を重ねた職人だったらという相応の仕事の重みがあると思います。その時できることの重さと説得力が違うので、恥じることなく、その時の一生懸命さを出していけばいいと思うと、と先輩にも言われていましたし、僕もそう感じています。確かに日々仕事していると、引け目を感じてしまうこともありましたが、それはお客さまに対して失礼ですから。一生懸命やるという、ただただシンプルな答えですが。つまるところそういうことなのだと思います」

「ベテランに握って欲しかった」と思われないために

「日々仕事をしていると、引け目を感じてしまう」とは、どういうことだろうか。

「『久兵衛』では同じフロアにまな板が4枚あります。先輩によく言われたのは、同じ金額を使っていただくお客様に、若手の僕が隣のベテランに握って欲しかったと思われないためにはどうしたらいいか。やはり誠心誠意やること。そのために、きちんと見ていることをお伝えするためにお声かけをするなど、時間や空間込みで納得してご満足いただけるように最大限努めることが大事だと思っています」

10年は続けなければという思いで忙しい『久兵衛』での日々を送ってきた木目田さん。本店の銀座をはじめ現在は7店舗を展開する『久兵衛』に、同期入社はホール担当などを含めて20人ほどいたのだそう。理由はさまざまながら1人辞め2人辞め、いつしか残ったのは木目田さんだけだった。

寿司職人の世界はそれほどまでに厳しいものなのだろう。どんな思いで続けられたのか。

「家族だったり友達だったり自分の成長を楽しみにしてくださる方がいたからです。よく職人の世界は大変だと言いますが、どの仕事もお金をいただくプロの仕事の責任の重さは一緒ですよね。大変なのは自分だけじゃないと思っていました」

11年目で“外の世界”に、新天地は沖縄のリゾートホテル

11年目でそろそろ外の世界も見てみたいと『久兵衛』を卒業した木目田さん。店を任せたい、海外で働かないかなど、引く手数多だった。

選んだのは「条件としては余りいいものではありませんでしたが、お金以上に得られるものが多そう、成長できそうと思った」という沖縄のリゾートホテル『ハレクラニ沖縄』(恩納村)。しかも、コロナ禍の真っ最中だ。その生活はどうだったのだろう。

「とても勉強になりました。和食レストランだったこともあり、四季折々の魚以外の食材を見られたのが楽しかったですね。今、僕に付いてくださっているお客様は、ほとんどが『ハレクラニ』時代の方。『久兵衛』ではあくまで一職人として、自分の色は出せません」

約2年間、ハレクラニ沖縄で腕を振るった木目田さんだが、彼を見ているとつくづく人のご縁を大切にすること、そして何より、チャンスの神さまの前髪を見極めること、それに備えて自分を磨いておくことがいかに重要かがわかる。

「良い職人の条件は、心技体のバランスに優れていることだと思います。技術はある程度やれば、正直なところ形になります。でも技術だけあってもダメですし、その先ですよね。いろいろなお客様がいらっしゃるので、感じて、察知して動けるかという、柔軟な対応が求められます」

『神田錦町 鮨 たか晴』のカウンターに座っていると、目端のきいた気持ちの良い接客があり、この言葉が理解できる。

「革新的な王道」の寿司を神田錦町で実現

そんな木目田さんを都内に呼び戻したのが『久兵衛』時代に通っていたという居酒屋『銀座 いっぱし』などを経営する井上清次(せいじ)さんだ。同店は、『久兵衛』から歩いて5分ほどのところにある。

「うちの店は深夜営業をしていたこともあって、よく職人たちが来てくれていたんです。彼(木目田さん)がだんだん先輩になって後輩を連れてきたり、付け場に立てるようになり後輩を育てていったりという様子をずっと見てきました」(井上さん)

木目田さんの人間性に惹かれたと話す井上さん。都内の人気寿司店とのつながりを作るなど、独立をあと押しした。

「元々朗らかな人柄なので、彼のキャラクターとしても銀座や六本木でせめぎ合うより、もっと落ち着いた街のほうが合うのではという思いもありました」と井上さん。

『たか晴』があるのは神田駅前や秋葉原から徒歩で行けるエリア。古くからの住民がいて、オフィス街でもある。徒歩で20数分の東京駅八重洲口にある『シャングリ・ラ東京』や、2km強離れた日比谷公園前の『帝国ホテル 東京』などの宿泊客にも訴求できる場所だ。

なお、意匠にもとてもこだわっているので、ぜひ木目田さんに尋ねてみてほしい。

『神田錦町 鮨 たか晴』の店内

『たか晴』のコンセプトは、「革新的な王道」。これはどういう意味なのか。次回は、寿司を実食した感想に加え、このコンセプトを紐解いていきたい。

なお、応援購入できる「Makuake」では、9月29日(日)まで、コースがお得になるプロジェクトを開催中だ。

すでに、目標金額の30万円をはるかに超える、500万円以上が集まっていることからも、多くの期待が寄せられていることがわかる。ぜひプロジェクトページをご覧ください。

「革新的な王道」のヒントとなる一品

『神田錦町 鮨 たか晴』

住所:東京都千代田区神田錦町1−17−5 Daiwa神田橋ビル1F

電話:03-3518-9218

営業時間:12:00〜14:30(L.O 13:00)、17:00〜23:00(L.O.21:00)

定休日:月曜、祝日

文・写真/市村幸妙

いちむら・ゆきえ。フリーランスのライター・編集者。地元・東京の農家さんとコミュニケーションを取ったり、手前味噌作りを友人たちと毎年共に行ったり、野菜類と発酵食品をこよなく愛する。中学受験業界にも強い雑食系。バンドの推し活も熱心にしている。落語家の夫と二人暮らし。

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