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19歳で大事故、入院中にテレビで観たラーメン番組

「それまで、ラーメンは週に1回食べる程度で比較的好きというくらい」。そんな鴨志田さんがラーメンに強く興味を持ったのは19歳のときだった。

「学生時代から人に合わせることが好きじゃなかったし、やりたいことが特にあったわけでもなく、勉強は嫌いだったので大学に進むつもりはなかった」

高校卒業後は地元でガソリンスタンドに就職したが、頻繁に打たれるキャンペーンやきついノルマなど、営業方針に納得できず1年ほどで退職。その後は工場や現場仕事などを勤めたが、何をやっても魅力が感じられず長続きしなかった。

そんな最中、バイクで大事故を起こした。現場は帰宅途中、自宅から200mほどの近所だった。顔面から路肩に突っ込み、2か所の眼窩底骨折。骨は砕けて上顎も折れた。口の中でジャリジャリとした感触があり、気持ち悪さを感じた。衝撃で砕けた歯だった。鼻骨が折れたせいで鼻血は止まらず、みるみるうちに腫れ上がる顔に、ちょうど下校時間で通りがかった小学生たちが大騒ぎしていた声が聞こえたのを覚えている。知人の家の前だったこともあり、すぐに救急車を呼んでくれた。

「膝の半月板を損傷しましたが、事故直後に自分の足を見たらバイクが足の上に乗っていて、足が変な方向を向いていたので下半身付随は覚悟しました」

顔にプレートを入れる手術など計2回行ったが、最初の入院の時はしばらく固形物が食べられず、寝たきり状態だったので自力で起き上がることができないくらい筋力が落ちた。

2回目の手術は約1年後。その入院中に偶然見たのが「本当に美味しいラーメン」をランキング形式で紹介したテレビ番組だった。

自分がやりたいことは何か、GSでの経験から人に感謝できて感謝されるような仕事は何があるのかと悩みながら、人生を模索していた鴨志田さん。ラーメン店店主が一人で店を切り盛りする姿に、自分の力でやっていくことへの魅力を感じたという。早速、病院のパソコンを借りて、そのランキングに入っていた複数のお店に「ラーメン屋さんになるためにやっておくべきことはありますか」とメールで聞いた。

その中から「退院したら会ってみないか」という返信があったのが、先の番組で第1位に輝いた『麺処 くるり』(東京都新宿区、現『大塚屋』)だ。

『自家製ラーメン アイリー』のイラスト

高校時代はボクシング、辰吉父の言葉「一番になれ」

高校時代、「男に生まれたからには強くなりたい。自分の力で名前を残したい」という思いでボクシングをやっていた。

「当時憧れていた辰吉丈一郎さんの父・粂二さんの言葉に『なんでもいいからから一番になれ』というものがあり、それが自分の人生を動かしてくれた気がします」

さらに、「バイク事故で一度は死んだようなものだと思って頑張ってみよう。何をやっても長続きしなかったこともあり、親にまた始まったと言われるのも嫌なので、本気でやるなら東京に行こうと決意表明も込めて動きました」と話す。

懸命にリハビリに励み、2007年、左足を引きずりながら『麺処 くるり』の門を叩いた鴨志田さん。ラーメン店として一番を目指す修業が始まった。

『自家製ラーメン アイリー』のラーメン
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疎遠になっていた店主に、麺作りを改めて乞う...
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市村 幸妙
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