×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

とにかくイケイケだった日産

4代目がデビューしたのは1990年8月。日産が乗りに乗っていた時期だ。1988年以降(初代シーマ、S13型シルビア、セフィーロなど)、毎年のように話題の中心となるクルマを登場させていた。そして1989年に日産はR32型スカイライン&スカイラインGT-R、Z32型フェアレディZ、インフィニティQ45と立て続けに高性能車を登場させ、1990年に入ってもカリーナEDイーターのプレセア、当時FF(前輪駆動)車最高のハンドリングと謳われた初代プリメーラなどなどクルマ好きを魅了。

パルサーのちょっとまでにデビューしたプリメーラは当時FFで世界最高のハンドリングと言われた

このクルマ作りの根底にあったのが、1990年までにクルマ技術で世界一になることを掲げた『901運動』が好影響を与えていたのは紛れもない事実で、4代目パルサーもその理念のもと開発されていた。

日産は2024年に日本ではまったく新型車(マイナーチェンジを除く)を登場させず、この先も2026年まで見込み薄というのを考えると、当時との違いに悲しくなる。

4代目はバリエーション豊富

パルサーは5ドアハッチバックと4ドアセダンというのが定番となっていたなか、4代目では5ドアセダンが新たに設定された。ただ日本では5ドアセダンは売れない、という不文律のようなものがあり、4代目パルサーも例外ではなかった。デザインはセダンよりも秀逸で、今のようにユーザーの好みが多様化していればと惜しまれる一台だ。

パルサーはエンジンバリエーションも豊富で、ガソリンエンジンが1.3L、1.5L、1.6L、1.8L、2Lターボ、ディーゼルが1.7Lと、なんと6種類が搭載されていた。当時はグレードも今とは比べ物にならないくらい多く、今思えばよくやっていたよな、と思う。

質感が高く雰囲気もある5ドアだったが販売面ではイマイチに終わった

GTI-Rはフラッグシップ

パルサーの5ドアにはスポーツモデルとして1.8LのDOHCエンジンを搭載するGTIが設定されていた。そしてその上に君臨したのが2LのDOHCターボを搭載するGTI-Rで、GT-R同様に日産のRを冠したコンペティションモデルだ。

GT-Rがサーキットレースで勝つために生まれたように、パルサーGTI-Rは世界ラリー選手権(WRC)で勝つために生まれたクルマだ。4mを切るコンパクトなハッチバックボディに強力な4WDターボを組み合わせるという手法は、今で言うトヨタのGRヤリスそのもの。WRCのホモロゲーションを取得するために発売されたという経緯も全く同じ。

30年も前に日産はそれを商品化していたのだ。

パルサーシリーズのトップに君臨したのがコンペティションのGTI-R

WRCに参戦することを前提に開発が進められたGTI-Rのボディサイズは、パルサーの5ドアをベースした全長3975×全幅1690×全高1400mmと非常にコンパクト。ホイールベースは2430mmで、ほぼ同じ全長ながら2560mmの GRヤリスに比べて短いのは、時代を感じさせる。

そのコンパクトなボディに2L、直4DOHCターボエンジン(230ps/29.0kgm)を搭載。ターボはギャレット製で、大容量インタークーラー、4連スロットルチャンバー、ナトリウム封入バルブ、専用ピストンなどなど、贅沢に投入されていた。

GTI-Rの外観上の最大の特徴とも言えるボンネット上のエアインテーク付きのパワーバルジは、コンパクトなボンネット内に大容量インタークーラーを収納させるためのもので、見た目の派手さだけを狙ったものではなく機能美を感じさせる。

WRCのホモロゲ用に販売されたGRヤリスだが、日産はGTI-Rで30年前に実践
次のページ
日産自慢の4WDのATTESAを搭載...
icon-next-galary
icon-prev 1 2 3 4 5icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

最新刊

琥珀色のコーヒー、落ち着いた雰囲気、マスターの笑顔……喫茶店に足を運びたくなる理由はひとつではない。…