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ブラジル日本人街で食べたラーメンに魅せられ

「麺の坊 砦」を語るうえでは、店主・中坪正勝さんの全歴史をひも解かないと始まりません。中坪さんは1968年、富山県富山市の生まれ。10歳から約3年間を、父親の仕事の関係で南米・ブラジルで過ごしています。そのとき、父親に連れられて行った日本人街で食べたラーメンが好物となりました。その味に魅せられ、帰国後は自転車に乗って石川県や新潟県のラーメンを食べて回るようになり、小学校の頃から今でいうところの“ラーメンフリーク”だったそうです。

大学受験に失敗した中坪さんは、またしても寝袋一つで旅に出ました。目指したのは九州の福岡。目的は“ラーメンの食べ歩き”でした。福岡での中坪さんは、ガイドブックを片手に1日に8軒ものペースで食べ歩いたそうです。そして、30軒以上食べ歩いたとき、一番おいしいと思った「一風堂」の味に惹かれ、「一風堂」の門をたたきました。1988年のことでした。

店主の河原成美さんからは、「ラーメンを覚えようと思うんやったら3年間は、しっかり頑張れよ」と言われ、3年たったのちには故郷・富山に帰り、店を持つことを夢見ていたそうです。

「一風堂」創業者の河原成美さん(右)と、「麺の坊砦」店主の中坪正勝さん(左)。中坪さんは「一風堂」創業時の一番弟子だった

「一風堂」ではラー博店店長、その経験が宝物

「一風堂」での3年が過ぎた中坪さん。店主の河原さんに「3年たったので独立したい……」と申し出たそうです。ところが、「まだ早い」と言われてしまいます。実際、独立する資金もまだ貯まっていなかったこともあり、中坪さんはもう少し「一風堂」で頑張ることになりました。

そして、5年が経過した1993年、2回目となる独立を申し出た折、冒頭でふれたように、河原さんに連れて行かれたのが、開業前のラー博でした。

中坪さんいわく、「一風堂がラー博に出店するとき、テレビの密着取材があり、そこからとんとん拍子でラー博店の店長をやることになりました。自分としてはなかなかない機会だからと。もう3年頑張って独立しようと思いました……」とのことでした。

「一風堂」時代にはラー博店店長も務めていた中坪さん(中央)=1999年

1994年3月6日、ラー博はオープンします。予想をはるかに上回るお客さまとなり、中坪さんは昼夜を忘れてがむしゃらに働きました。「19歳からラーメンの仕事に携わっていますが、寝る暇もなくこんなに働いたのは、あのとき以外ありません。いや~本当に忙しく、きつかった。あの経験と、そのときに出会った人たちは本当に私の財産です」――それが、今の中坪さんの思いです。

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2000年、32歳で「一風堂」から独立
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おとなの週末Web編集部
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