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特別にしつらえた専用列車

連合国軍総司令部は、1946(昭和21)年6月になると、米軍第8軍司令官用の特別専用列車を運行するよう、運輸省(のちの国鉄)に命じた。こうした特別専用列車の運行は、司令官用にとどまらず高官用も用意され、特別にしつらえた専用の客車列車が3編成もあった。それぞれに愛称が付けられ、司令官用が「Octagonian(オクタゴニアン)」、高官用は「Coronet(コロネット)」、「Ambassador(アンバサダー)」と呼ばれた。

このうち、司令官用の特別列車「オクタゴニアン」は、展望車、食堂車、寝台車3両、2等荷物車で組成された特別な編成だった。展望車は天皇の御料車(国賓用展望御料車第10号)、食堂車も天皇の御料車(国賓用御食堂御料車第11号)で、寝台車のうちの1両は元”三直宮用”の1・2等寝台車(スイロネフ381→軍番号スイロネ1309)と、GHQが接収した天皇や皇族の専用車が使われた。

この接収をめぐっては、当時の運輸省が現役の御料車を関東の郊外へ疎開させるなどして隠ぺい工作を図り、旧型の御料車ばかりを連合国軍側に見せることで“接収から死守”したという逸話が残されている。その結果、大正生まれの展望車と食堂車のほか、皇族用といった使用頻度の少ない車両が接収対象となった。このほか接収対象となった一般の車両も、1等車や2等車といったハイクラスな車両ばかりがその対象となった。

特別列車「オクタゴニアン」号を使用した第8軍の初代司令官ロバート・ローレンス・アイケルバーガー中将は、マッカーサー元帥に次ぐ総司令部のナンバー2という立場だった。ゆえに、日本政府とマッカーサー元帥との交渉ごとがこじれると、その話の仲介役になるなど日本政府からの信頼も厚い人物だった。

1947(昭和22)年10月7日のこと、長野県軽井沢から東京へ向かうアイケルバーガー中将を乗せた“第8軍特別列車”と、全国御巡幸で東京から長野を経由し新潟県へ向かっていた昭和天皇が乗られた御召列車が、“碓氷峠”(横川駅~軽井沢駅間)のあたりでバッティングすることが判明した。これに対しRTO(鉄道司令部)は、当時単線だった区間での列車の輻輳(列車ダイヤ交錯)を避けるため、御召列車に対して途中駅で時間調整を行い、先に特別列車を通過させるように指示したことがあったという。占領下ならではの御召列車エピソードだ。

「オクタゴニアン」号に組み込まれていた”展望御料車”は、1951(昭和26)年6月にGHQの接収を解かれると、皇室用客車として復帰した。しかし、その後は使用されることはなく、1959(昭和34)年10月に廃車となった。廃車後は国鉄で大切に保管され、1969(昭和44)年10月に鉄道記念物の指定を受けた。現在では、JR東日本が運営する「鉄道博物館」(さいたま市)に、常設展示されている。

第8軍特別列車「オクタゴニアン」号に編成されていた展望御料車の内部。GHQ接収を解除された後は使用されることはなかった=撮影時期不詳、写真〔国鉄OB譲受〕所蔵筆者
鉄道博物館で展示公開されているGHQに接収された歴史を持つ国賓用展望御料車第10号=2010年12月18日、埼玉県さいたま市
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マッカーサー夫人も乗車したオクタゴニアン号
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