マッカーサー夫人も乗車したオクタゴニアン号
1948(昭和23)年9月、第8軍の初代司令官ロバート・ローレンス・アイケルバーガー中将が更迭され、後任にはウォルトン・ハリス・ウォーカー中将が着任した。この人物は、東條英機らA級戦犯7名の絞首刑、火葬、遺骨の扱いなどの執行責任者を務めた人物だ。
ウォーカー中将は着任早々、司令官専用列車の改造を命じた。その車両とは、元・三直宮用1・2等寝台車(スイロネフ381→軍番号スイロネ1309)で、その室内レイアウトを変更し、寝室と特別室を兼ねた1等室を拡張して“夫婦”で使用できるように改造するというものだった。
当時、戦後まもないこともあり物資が不足している最中での改造指示に、運輸省関係者は頭を悩ませた。壁材には高級なベニヤ板(チーク材)を用意する必要があった。探し回った結果、日本楽器製造(現・ヤマハ)天竜工場から部材調達した。このほか、シャワー室の新設や冷房装置の取り付けも行われた。
当時、天皇や皇族方が使用する車両には、冷房装置は皆無であった。すでに国内の鉄道では、1936(昭和11)年に冷房装置を取り付けた車両は存在していたが、質素倹約を旨とする昭和天皇のお考えもあって、1955(昭和30)年になってようやく御料車にも冷房装置が取りつけられたほどだった。
改造整備を終えた司令官特別列車用の一・二等寝台車は、その愛称もそれまでのハートフォードから「サンアントニオ(ウォーカー中将の出身地名)」へと改称された。改造を終えた1948(昭和23)年12月には、早速、マッカーサー夫人とウォーカー夫人が、他の将軍の婦人らを伴って京都旅行へと出発していった。
この車両は、1951(昭和26)年4月にGHQの接収を解かれ、皇室用車両へと復籍し、皇太子殿下(現・上皇陛下)用の御料車第14号として活躍した。後年には、”国賓用の御料車”としても使用された。本車は現在も、車籍(人でいう戸籍のようなもの)を有したまま、都内のJR車両工場内で保管されている。戦中・戦後を走ってきた歴史の生き証人でもある車齢87年の客車は、何を語るでもなく、日の当たらない“倉”の中で静かに老体を休めている。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室写真記者。1970年、東京都生まれ。中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、鉄道友の会会員。
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