篠塚建次郎氏がパリ・ダカで日本人初優勝
大きな波乱、混乱も予想された1997年のパリ・ダカだったが、三菱にとっては忘れられぬ大会となった。三菱ワークスは3台のパジェロと1台のチャレンジャーで参戦したが、パジェロが1~3位を独占し、チャレンジャーが4位に入る快挙。しかも、優勝したのは三菱の日本人エースで社員ドライバーの篠塚建次郎氏で、日本人初のパリ・ダカウィナーに輝いた。4位のチャレンジャーは、現在三菱のラリー部門のトップである増岡浩氏。
初の1~4位独占に沸く三菱だったが、1998年大会用のマシンの開発は急務だった。実は1997年大会は、市販車改造クラスではあったが、改造範囲は比較的広く足回りなどはプロトタイプカーからの移植も可能で、パジェロもそうしていたが、1998年大会は改造範囲が狭められ厳しくなり、足回りの移植は不可となった。そうなると、それまで膨大に蓄積されたデータ類も使えなくなる……。
パジェロエボはパリ・ダカで勝つために生まれた
パリ・ダカで勝てるポテンシャルを持った市販車の必要性に迫られた三菱。その結果、パリ・ダカで勝つことを絶対命題として生まれたのがパジェロエボで1997年9月22日に正式発表され10月から販売を開始。
パジェロはパリ・ダカへの参戦によって得られたデータなどがフィードバックされて市販車が大きく進化してきた。しかしパジェロエボは、まったく逆の手法で、勝つための技術が満載された市販車モデルなのだ。基本的な構造が変更できないグループAのWRCよりも改造範囲が狭い市販車改造クラス(T2)ということでまったく妥協なしで、ストイックなまでにポテンシャルアップを目指して開発が進められた。
前後のブリスターフェンダーはトレッド拡大のため
パジェロエボのベースとなっているのは、2代目パジェロの3ドアのショートボディのZR-Sというグレード。
ボディサイズは全長4075×全幅1875×全高1915mmで、当時のクルマで全幅1875mmは強烈にワイドで、それがゆえにバカデカいという印象的だったが、その一方で全長は異様なまでに短い。何しろ現行車でいえばヤリスクラスなのだ。ショートボディにワイドトレッドにより、キビキビとした回頭性と旋回時のスタビリティを両立。
ベースのZR-Sに比べて全幅は90mmワイドとなっているのは、パジェロエボが前:+125mm、後:+110mmで前後とも1590mmに広げられたワイドトレッドを採用しているから。タイヤがボディ内に収まるように前後に仰々しいまでのブリスターフェンダーを装着しているのだ。片側45mmのフェンダーの拡幅は迫力満点だ!!
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¥4,380(税込)
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¥5,400(税込)
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¥5,100(税込)
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