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20世紀最強のクロカン

では、三菱渾身のパジェロエボの戦績はどうだったのか?

1998年のパリ・ダカでデビューしたパジェロエボを改良したT2マシンはラリー実戦でも想定どおりの高いポテンシャルを発揮。1997年に続き、1~3位がパジェロエボ(篠塚氏は2位)、4位がチャレンジャー(増岡氏)と1~4位を独占。ベースとなったパジェロエボの秀逸性も大々的にアピール。

翌1999年は優勝こそできなかったが、パジェロエボは2、3位、4位(篠塚氏は4位)で、この年をもってパジェロエボでのワークス参戦は終了となった。パジェロエボはわずか2年間であったがラリーファンに鮮烈な印象を残して去っていった。
三菱は20世紀の最後にラリーレイドでの強さ、市販車の秀逸性をパジェロエボにより大々的にアピールすることに成功した。パジェロエボは20世紀最強のクロカンだ!!

新車で買って乗り続けている人、中古で買った人も長く愛し続けてほしい一台だ。

1998年のパリ・ダカはデビューウィンを含む1~3位を独占

【三菱パジェロエボリューション(5AT)主要諸元】ホイールベース:2420mm
車両重量:1970kg
エンジン:3496cc、V6DOHC
最高出力:280ps/6500rpm
最大トルク:35.5kgm/3000rpm
価格:390万8000円

エボリューション専用のストライプはオプション

【豆知識】
篠塚建次郎氏は東海大学在籍時代から日本の国内ラリーに参戦。三菱のモータースポーツワークスチームの『コルト・モータースポーツ・クラブ(CMSC)』は篠塚氏の活躍に目をつけ大学在学中にスカウト。篠塚氏は大学卒業後に三菱自動車に入社し、自動車メーカーに勤務する傍ら、週末はラリーに参戦するという社員ドライバーとして活躍。全日本ラリーのタイトルを獲得後海外ラリーにも参戦し、WRCでは1991年にアイボリーコーストでWRC日本人初優勝(翌1992年も優勝)。パリ・ダカは1986年にパジェロで初出場し、1997年に初優勝。2002年に三菱を退社後は日産ワークスからパリ・ダカに参戦したほか数多くの海外ラリーに参戦。ラリーを引退後はソーラーカーレースで実力を発揮。2022年に『日本自動車殿堂』入りしたが、2024年3月逝去。

三菱退社後はいろいろなカテゴリーに参戦してラリーを楽しんでいた篠塚氏

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/MITSUBISHI、ベストカー

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市原 信幸
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