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いまに姿を留める廃線跡

開業から42年が経過した1980(昭和55)年12月30日、唐沢鉱山軌道はその歴史に幕を閉じた。これは、鉱車による輸送量が限界を迎えていたほか、踏切渋滞、騒音・振動問題などもあり、新しいシステムでの鉱石輸送が行われることになったからだ。このシステムとは、ガソリンカーのレール跡(軌道敷跡)に大きなパイプを埋め込み、そのパイプの中を圧縮空気の力によって石灰石の入った“カプセル”を工場へと運搬するというものだった。このカプセルライナーは、現在も稼働をつづけている。

唐沢鉱山軌道の廃線跡は、全線にわたり「カプセルライナー」に転用されたため、当時の軌道敷(レール跡)は容易に確認することができる。この用地は、現在も住友大阪セメントの私有地であり、ゆえに廃線跡が宅地や農地に転用される心配はなく、今でも完全な形で遺っている。山側の列車交換所の先では、東武鉄道の廃止貨物線「会沢線」と並走する区間があった。そこは今でも、会沢貨物線の廃線跡を含め、当時の面影を見ることができる。

遺された軌道敷を見ているだけで、不思議と”忘れ去られていた記憶”がふとよみがえることがある。今回は、私の幼少期と重なる年代のお写真を田中義人さんからご提供いただき、ただただ感謝である。廃線跡と思い出探しは、これからもつづく。

トップ画像とほぼ同じ地点を写した廃線後の姿。背景の山の形が変わっているのは、石灰石の採掘により山が削られたことによるもの=2004年3月19日、栃木県葛生町
東武鉄道の貨物線「会沢線」が左側から接近し、唐沢鉱山軌道(右の軌道敷)と並走する地点を写した廃線跡。今でも両線の廃線跡は、はっきりとわかる状態にある=2004年3月19日、栃木県葛生町
工場側の列車交換所へと向かう石灰石を満載した鉱石列車=1975年3月15日、安蘇郡葛生町、写真提供/田中義人
ひとつ前の写真と同一地点を写したもの。工場側の列車交換所付近=2017年7月23日、佐野市会沢町
唐沢鉱山軌道の軌道敷に埋設されているカプセルライナー。河川横断箇所では大型のパイプが顔をのぞかせる=2017年7月23日、佐野市会沢町
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文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、鉄道友の会会員。

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