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モダンな私鉄駅として開業

中目黒駅と自由が丘駅の間にある祐天寺、学芸大学、都立大学の3駅のうち、開業時から駅名が変わらないのは祐天寺駅だけだ。開業時の祐天寺駅には、東口に駅舎があり、木造2階建てのハーフティンバー様式と呼ばれるモダンな駅舎が建てられていた。当時の私鉄としては珍しい、駅前にロータリーを備えた駅で、その建設には地元“祐天寺”の協力があったといわれる。

1955(昭和30)年になると、上り線側に西口を開設し、1964(昭和39)年には東口駅舎を、駅の高架化工事に合わせて駅ビル(地上3階、地下1階)へと建て替えられた。この駅ビルは、駅舎の改良(通過線設備)工事により解体され、2018(平成30)年に新しい駅舎へと生まれ変わった。

1971(昭和46)年には、駅改札業務自動化のモデル駅として学芸大学駅、桜木町駅とともに、自動改札機が導入された駅でもあった。

1953(昭和28)年ごろの祐天寺駅。木造の2階建て駅舎は、モダンなハーフティンバー様式で建てられていた=写真/宮田道一コレクション
現在の祐天寺駅が入る駅ビル。2018(平成30年)年に建て替えられた=2025年11月21日、目黒区祐天寺
祐天寺駅といえば、鉄道ファンにはお馴染みの「カレーステーション・ナイアガラ」=2025年11月21日、目黒区祐天寺
高架化工事がはじまる前年の1965(昭和40)年に撮影された東横線と駒沢通りが平面クロスしていた踏切。祐天寺駅と学芸大学駅のほぼ中間地点にあった。左手に写る交番は、現在も同じ位置に建っている。線路は、奥が祐天寺駅方向=写真/宮田道一コレクション
東横線と駒沢通りが立体交差する場所には、電車が地ベタを走っていた平面クロスの時代からある交番が、建物もそのままに今も変わらず建っている=2025年11月21日、目黒区中央町

店舗になった旧地下駅跡

学芸大学駅は、開業当初は当地の地名にちなんだ「碑文谷(ひもんや)駅」と呼ばれていた。当時、駅の周辺は麦畑と竹林が覆い茂っていたといわれる。1930(昭和5)年ごろから急速に宅地化が進み、1936(昭和11)年に駅至近に開校した「青山師範学校」にちなみ、駅名を碑文谷から「青山師範」へと改称した。その後、→第一師範→現在の学芸大学と、駅名は変遷した。

この学校は、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄が誘致したものだった。現在、当地に学芸大学はなく、紛らわしいという苦情が寄せられたこともあったそうだ(東京学芸大学附属高等学校は現在も最寄り駅となっている)。何度となく駅名を変える動きもあったが、近年実施された駅名変更に関する住民アンケートでは、反対意見が多く寄せられた。この結果、地域に根差した駅名として今日を迎えている。

この駅には、旧線時代の鉄道遺構が残されている。高架化工事の際、線路沿いには店舗や住宅が密集していたため、新たに用地を確保することは困難であり、手狭な用地で工事を進めざるを得なかった。プラットホームは、上り線と下り線の間にあり、その先端に駅舎(改札口)があった。工事が進むとこの駅舎が邪魔になり、移転させる必要が生じた。そこで苦肉の策として、工事期間中は駅舎を線路の直下(地下)に設置することになった。その痕跡は、今も学芸大学駅の地下に遺されている。

現改札口を出た東口側(改札口に向かって左手)の壁沿いには、閉ざされたシャッターがある。この中に地下へと降りる階段が存在するのだ。この地下空間には、近年まで店舗として居酒屋が入居していたが、現在は閉店しているため、その姿を見ることはできない。この地下へと降りる階段こそが、高架化工事の際に設けられた旧地下駅へと通じる階段なのだ。その先にある地下空間(店舗スペース)は、駅事務室や改札口があったところだ。地上部には、高架下を駅の裏手にまわると、この地下空間から当時のプラットホームへと上がる階段も残されているのだが、こちらも今はシャッターで閉ざされており、確認することはできない。

この店舗を利用した人のなかで、この空間に(高架化工事中の)改札口があったことを知る人は、どれほどいるのだろうか。高架化工事で消滅した旧線跡は、このほかにも平成の中頃までは、小さな河川にかかる橋台跡が学芸大学駅~都立大学駅間に見ることができた。しかし、現在は撤去されており、現存しない。いまなお残る旧線跡の痕跡は、この地下駅舎遺構だけだろう。

1962(昭和37)年に撮影された学芸大学駅。開業した1927(昭和2)ごろは、麦畑と竹林が覆い茂るなかに駅はあったという。プラットホームは、昔も今も上り線と下り線の間に設けられている。電車は、アオガエルの愛称で親しまれた旧5000系=写真/宮田道一コレクション
現在の学芸大学駅西口。上り線側から都立大学駅方向を見る=2025年11月21日、目黒区鷹番
学芸大学駅の改札を出て東口に出ると閉じられたシャッターが目につく。この中に旧地下駅へと降りる階段が遺されている=2025年11月21日、目黒区鷹番
トップ画像と同じ位置から撮影した現在の光景。線路の延長線上にある高層ビル群は渋谷駅周辺=2025年11月21日、目黒区鷹番
高架下にある小さな遊歩道のところには、地上線時代の名残りとして東横線の橋台が遺されていたが、いつのまにか取り壊されてしまった=2025年11月21日、目黒区碑文谷
高架化工事がはじまる1年前の1965(昭和40)年に撮影された学芸大学駅~都立大学駅間にあった東急の電車を修繕する「碑文谷工場」周辺のようす。高架化工事と同時に工場は廃止され、現在は東急系のゴルフ練習場が建っている=写真/宮田道一コレクション
1966(昭和41)年まで存在した東横線の電車を修繕する工場「碑文谷工場」の跡地。右側には東急系のゴルフ練習場「スイング碑文谷」がある=2025年11月21日、目黒区碑文谷
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南北の谷間にあった駅
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工藤直通
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