×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

南北の谷間にあった駅

都立大学駅は、中目黒駅と自由が丘駅の間にあった3つの地上駅のなかで、最初に高架化された駅だった。開業時の駅名は、「柿ノ木坂」を名乗っていた。これは周辺の地名にちなんだものだった。この文字からも想像がつくように、駅は南北に走る線路(地形)の谷間に位置した。東急線で3例目となった都立大学駅の高架化工事は、駅の南側を通る道路(現・目黒通り〔都道放射3号線〕)との立体交差化を目的とした。

となり駅の学芸大学駅と同様に、駅名はのちに至近にできた府立高等学校の名を冠したものに改称された。柿ノ木坂→「府立高等前」→府立高等→都立高校→現在の都立大学と4度改名している。この学校も、元々はこの地にはなく、東急グループの事実上の創業者である五島慶太氏が誘致したものだった。なお、同大学は1991(平成3)年に移転しており当地に存在していない。その際、駅名変更が議論され、学芸大学駅と同様に住民アンケートを実施したところ、賛成が得られなかったため見送られている。

古い話になるが、初代駅名の”柿ノ木坂”と聞いて、1957(昭和32)年にヒットした「柿ノ木坂は駅まで三里~♪」と青木光一さんが歌う「柿の木坂の家」を思い出したかたはおられるだろうか。残念ながら、この歌詞にでてくる“柿の木坂”とは、東横線の柿ノ木坂ではなく、広島県廿日市市にある坂道を歌ったものだという。

東横線の高架化・地下化は、66年もの歴史があり、はなしは尽きない。都立大学駅と同じように谷間にあった新丸子駅のはなしは、またの機会にしたいと思う。

1958(昭和33)年頃に撮影された都立大学駅。駅は南北に走る線路の谷間にあり、現在の目黒通り(都道放射3号線)との立体交差を目的に線路高上(高架化)が行われた。写真右手に写る「緑屋〔ミドリヤ〕(のちの西武クレジット→現・クレディセゾン)都立大学駅前店」は、1968(昭和43)年まで営業していた=写真/宮田道一コレクション
ひとつ前の写真(1958〔昭和33〕年頃に撮影された都立大学駅)とほぼ同じ位置から撮影した現況写真=2025年11月21日、目黒区中根
高架化後まもない頃の都立大学駅のようす。手前側が渋谷駅方向。車両は、伊豆急行(静岡県)の開業を前に東横線でデモンストレーションを行っていた伊豆急100系電車。左の電車は“アオガエル”こと旧5000系電車=1961年10月11日、撮影/伊藤忠興
高架化された都立大学駅(後方にホームの屋根が見える)から自由が丘駅へと向かう試運転中の伊豆急の電車=1961年10月11日、撮影/伊藤忠興
ひとつ前の写真(1961年10月11日)とほぼ同じ位置から撮影した現況写真=2025年11月21日、目黒区中根
都立大学駅の初代駅名「柿ノ木坂」の名は、東横線の変電所名にも見ることができる=2025年11月21日、目黒区柿の木坂
icon-gallery

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、鉄道友の会会員。

icon-prev 1 2 3
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

工藤直通
工藤直通

工藤直通

おとなの自動車保険

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2025年11月14日発売の12月号では、「冬…