地下にもぐった田園調布駅
「田園調布に家が建つ」。1980(昭和55)年代に流行った漫才の一節である。これを知る人も少なからずおられることだろう。田園調布(東京都大田区)は、もともと「田園都市計画」という名のもとに行われた土地分譲と文化住宅を建設する構想によって誕生した新興住宅地がはじまりだった。今でいう目黒線の洗足駅(東京都目黒区)、大岡山駅(東京都大田区)、田園調布駅(東京都大田区)、多摩川駅(→多摩川園駅→現・多摩川駅/東京都大田区)のあるエリアが、その対象地域だった。子爵・渋沢栄一氏が生みの親となった田園都市株式会社の事業推進により勧められた街づくりだった。
田園都市株式会社は、いち早く電気の供給と鉄道の建設(荏原電気鉄道→田園都市株式会社電鉄部門→目黒蒲田電鉄→のちの東京急行電鉄)を行い、1922(大正11)年に目黒線(のちの目蒲線→現・目黒線)の目黒駅~多摩川駅(当時の駅名も多摩川)の建設に着手した。その翌年の1923(大正12)年3月11日に、目黒蒲田電鉄・目黒線の「調布駅」(当時の駅名→1926〔大正15〕年の元日に田園調布駅へと改称)は開業した。この調布とは、当地の村名(荏原郡調布村)から付けられたものだった。東横線が開通したのは、その4年後となる1927(昭和2)年のことだった。
開業以来、65年間にわたり地上を走り続けてきた目蒲線(現・目黒線)と東横線は、1988(昭和63)年からはじまった東横線の複々線化工事により、地下路線として生まれ変わることになった。1990(平成2)年には、西口にあった田園調布駅のシンボルだった旧駅舎が解体された。1994(平成6)年にまず、目蒲線(現・目黒線)のホームが地下化され、次いで1995(平成7)年に東横線のホームも地下化された。これにより、地上を走る電車の姿は、過去のものとなった。
駅舎が地下駅になったのは、その翌年(1996/平成8年)のことで、2000(平成12)年には、西口にあった旧駅舎を田園調布駅のシンボルとして復元しているが、駅舎としては使用されていない。








