開発開始から2年で市販モデルがデビュー
今回紹介する3代目シビックの開発は1981年にスタート。当時の新型車の開発は4~5年というのが平均的と認識しているが、3代目シビックは1983年デビューだから開発期間は実質2年と大幅に短い。特殊なケースかと思って調べてみると、2代目シビックも開発がスタートしたのはなんとデビュー2年前。
今でこそ日本車のフルモデルチェンジサイクルは5~6年と長くなっているが、1980年代はほぼ4年サイクルでフルモデルチェンジしていたため、新型車が出てまもなくすると次期型の開発がスタートするというのが定石だった。しかしこれはホンダ、特にシビックに関して言えば当てはまらない。2代目から3代目への大掛かりなフルモデルチェンジ内容を見る限り、よくその短期間でまとめ上げたなと改めて感心する。
無駄とも思える開発姿勢
前述のとおり、2代目で販売台数を落としたこともありシビックのフルモデルチェンジに際してホンダにとって重要命題は販売増。それを実現するためにはどうすればいいのか。シビックは世界89カ国で販売されているホンダのグローバルカーであるがゆえ、仕向け地によって求められるものが違うという点がエンジニアの大きな葛藤となっていた。
3代目シビックは3ドアハッチバック、4ドアセダン、5ドアハッチバック、バラードスポーツCR-X(シビックよりも先にデビュー)、バラード(4ドアセダン)をひとつのシリーズとして位置付けて開発。
シリーズでバリエーションを設ける場合、基本となるモデルをベースに枝葉となるモデルを開発していくというのが常套手段ながら、ホンダはそれぞれのモデルが別チームで独自に開発を進めていったというから驚く。最終的には効率、コストの問題から各モデルですり合わせをして共通部品、専用部品を吟味したというが、3ドア、4ドア、5ドアにそれぞれ専用プラットフォームが与えられていた。今のクルマ界では考えられないこの無駄とも思える開発姿勢こそホンダらしさであり、当時のホンダの魅力であり勢いだったと思う。
ホンダのFFに対する矜持
ホンダは早くからFF(前輪駆動)に着手し、初代シビックはFFで登場。近代のクルマ界でFFの開祖はBMCのMINIと言われるが、FFを大きく進化させたのはホンダの貢献度は高い。
1970年代後半以降、世界のクルマ(特にコンパクトカー)が次から次へとスペース効率が高く、FRに比べて部品点数が少ないFFにシフトしてきた。そんななか、ホンダは3代目シビックを開発するにあたり、「FFの新たなステージ」を目指した。





