今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第82回目に取り上げるのは1994年にデビューした初代三菱パジェロミニだ。
ジープの生産でクロカンのノウハウを蓄積
今回取り上げる初代パジェロミニについて語るには、当然ながら元祖であるパジェロについて触れておく必要がある。
三菱重工業の前身である中日本重工業は、1953年からウイリスジープのノックダウン生産を開始。第二次世界大戦後に軍民転換を推進したいウイリスは世界の9カ国とノックダウン生産のライセンス契約を結び、中日本重工業はそのひとつ。基本的には各国とも生産のみを請け負う契約だったのに対し、日本(中日本重工業)は販売権も付与されていた。
ノックダウン生産から始まったジープだったが、エンジンを日本製に変更するなど日本国内では”三菱重工のジープ”として認知され、クロスカントリーカー作りのノウハウを蓄積すると同時に”優良顧客”も数多く獲得することになった。
初代パジェロは三菱ジープの実質後継モデル
三菱重工は1971年に自動車部門を専業化させるために100%出資による三菱自動車工業(以下三菱)を設立して現在に至るのだが、ジープに代わる主力クロスカントリーカーの開発に着手。その結果1982年に登場したのが初代パジェロだ。
三菱ジープは初代パジェロ登場後も併売されていたが1998年に生産終了が決定し、2001年初頭まで販売された。三菱ジープが21世紀まで販売されていたのは感慨深い。
2代目はクロカンブームをけん引
初代パジェロにはジープで培ったノウハウが投入された。三菱にとって自社初のクロカンタイプであったが、高いオフロード性能と同時に乗用車的な乗り味を加味させたことで、クロカン=トラックベースというイメージを払拭した功績は大きい。初代パジェロはパリ・ダールラリーでの活躍もあり、瞬く間に日本を代表するクロカンとして認知され人気モルとなった。
その後を受け1991年にデビューしたのが2代目パジェロ。デビューと同時に爆発的に売れ、初期には月販1位を獲得するなどクロカンブームの主役として君臨。1990年初頭はバブル崩壊があったが、クルマが多様化した時期で日本車も大きく様変わり。クロカンブームはそのひとつの象徴であり、その後初代スバルレガシィツーリングワゴン人気によるワゴンブーム、初代ホンダオデッセイによる乗用タイプミニバンブームなどが勃発。現在はSUVがブームを超えて定番人気となっているが、1990年代は激動の時代だったのだ。



















