ジムニーはライバルではない!?
クロカンタイプの軽自動車ということでライバルは2代目スズキジムノーと言われていたが、実際はどうだったのか。これまで初代パジェロミニについて説明してきたからわかると思うが、初代パジェロミニと2代目ジムニーは何から何まで違う。オフロードに特化した世界最小のクロカンを標榜するジムニーに対し、パジェロミニはパジェロの名に恥じないオフロード性能を持つ一方で、街中を含めたオンロード性能を重視。それは高性能なだけではなく、快適性も妥協せず追及している。どっちがいい悪い、勝った負けたではなく、価値観の違い。
実際に両車では購入する客層もまったく違った。今でこそ老若男女誰もが普段のアシとしてジムニーが人気だが、2代目ジムニーはまだまだマニアが乗るクルマ、という領域を抜け出せていなかった。それに対し初代パジェロミニは万人受けしている現行のジムニーに近いポジションだったと言えるだろう。
個性派ながら販売面で成功
1994年に初代ワゴンRが登場し、軽自動車はスペース追求という新たな局面を迎えた。その一方でビート、カプチーノといったスポーツ系も存在。アルトワークス、ミラターボ、ミニカダンガンという超高性能モデルもあった。そのいろいろなキャラクターが乱立するなかで、クロカンと乗用車のクロスオーバーを目指したのが初代パジェロミニで、現在のSUVに通じるコンセプトを先取り。
全高は初代ワゴンRの1695mmほど高くないが、遜色ない1630mmということで、ユーティリティが魅力のハイトワゴンの要素も加味されていた。そう、初代パジェロミニはとても欲張りなクルマだったのだ。いいとこどりすると全部が中途半端になったりしがちだが、どれも高いレベルに到達していたのは立派。
初代パジェロミニがデビューした1994年末といえばすでにクロカンブームも下火だったにもかかわらず、1994年12月~1998年10月までに26万台強を販売。ブランニューの軽自動車としては大きな成功と可能性を示した。
パジェロミニの復活はあるのか!?
初代パジェロミニは1998年10月に新軽自動車規格に適合させた2代目にチェンジ。その2代目は日産にもOEM供給されてキックスとして販売。そして2013年に初代と同レベルの約25万台を販売しながらも生産終了となった。
現在三菱の軽自動車は、日産との合弁会社のNMKV(Nissan Mitsubishi Kei Vehicle)で企画。三菱単独では動けないが、パジェロミニの復活を願う人は多い。その際は日産版も登場させれば両車ウィンウィンになる可能性大だ。
自動車雑誌『ベストカー』で何度もスクープしているが、新型モデルの開発、開発凍結が続いているという情報もある。三菱としては「パジェロミニはフレーム構造でしかありえない」という開発陣の矜持が、名車復活に踏み切れない要因とも言われている。
しかし、2019年にファイナルエディションをもって日本から姿を消した本家パジェロの復活が確実となった今、パジェロミニの復活にも期待がかかる。
【初代パジェロミニVR-II(5MT)主要諸元】
全長:3295mm
全幅:1395mm
全高:1630mm
ホイールベース:2200mm
車両重量:910kg
エンジン:659cc、直4DOHCターボ
最高出力:64ps/7000rpm
最大トルク:9.9kgm/3000rpm
価格:139万8000円
【豆知識】
2代目ジムニーは1981年5月~1998年10月まで17年間販売されたが、細かく変更され最初と最後では別物と言っていい進化を遂げている。大きく分類すると、第1期(1981~1984年)、第2期(1984~1990年)、第3期(1990~1995年)、第4期(1995~1998年)という4タイプが存在。実は第1期だけで1~5型まであり、そのモデルは多岐にわたる。初代パジェロミニは1994~1998年だから、第3期と第4期のモデルがライバルと言われた。世界一小さい本格的オフローダーとして世界的に認知されていて、それは現在まで不変。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/MITSUBISHI、SUZUKI、ベストカー



















