鉄道の「廃線」を巡る 最盛期は約213kmもの路線網だった「都電」 いまもアスファルトの下にはレールが眠る #東京#芝浦#鉄道 記事に戻る 1950(昭和25)年の「都電路線図」より。道路上にレールが遺る「芝浦線」は、1944(昭和19)年に旅客営業を休止して非営業線(出入庫線)になっているため、この路線図には記載がない=資料所蔵/JLNA勝鬨橋(かちどきばし/中央区)には、都電11系統(新宿駅前~月島通八丁目)が行き来していた=写真所蔵/JLNA一部の車両でワンマン運転がはじまったころの都電荒川線。町屋駅前で=1978(昭和53)年4月8日、荒川区荒川都電の「軌道敷」の一例。写真の敷石は、銀座で使われたものとは異なる。都電で使用された御影石は、30cm×60cmのものが多く、廃線後は1枚200円(当時)で払い下げられたという=2024年10月16日、文京区後楽都電の軌道上に敷かれていた御影石を再利用した通称:銀座通り〔中央通り/国道15号〕の歩道=2025年9月22日、中央区銀座旧海岸通りの芝浦2丁目交差点とクロスする道路に都電のレールはあった。正面に見る高層マンションが芝浦アイランドエアタワー=2025年9月20日、港区芝浦都電のレール跡は、道路の末端に位置していた=港区設置の案内板より〔一部加筆/筆者〕道路に浮かびあがる都電のレール。道路の末端に位置していたことが、撤去されずにいた理由であろう=2025年9月20日、港区芝浦アスファルトの隙間から顔をのぞかせるレール=2025年9月20日、港区芝浦レールの先にある“芝浦西運河”には、都電の車両工場へと渡る「船路橋(ふなじばし)」が架かっていた。工場があった場所は“芝浦アイランド”に生まれ変わっている=2025年9月20日、港区芝浦再開発によって人道橋として架け替えられた船路橋。橋上にはタイルによって線路が描かれている=2025年9月20日、港区芝浦船路橋のたもとにある児童遊園には、由来が書かれた石碑が置かれている=2025年9月20日、港区芝浦 記事に戻る 最盛期に約213kmもある日本一の路面電車だった「都電」 いまもアスファルトの下にはレールが眠っている