つい通いたくなるコの字酒場の魅力とは
人は酒場に何を求めて通うのだろう。たとえば、ひとりやふたりで気ままに飲む時。旨い酒に肴か、流れる空気感や居心地の良さか。
常連客とのたわいない会話を楽しむのもいい。
時に大将の心意気に明日への活力をもらい、女将の笑顔にホッと癒されて帰る。
とりわけ「名店」と呼ばれるコの字酒場には、その多くの要素が詰まっているんじゃないか。
そう思い始めたのは、それなりに歳を重ねた大人になってからのことだ。
言うまでもないが、ここで「コの字酒場」とするのはコの字カウンターがある店のこと。正統派と呼ぶべき形があれば、細長いそれも、ちょっと変形だってある。
店の主はカウンター内を自在に動きまわり、仕込みや調理などの仕事をし、完成した料理を提供する。客はその様子を酒片手に眺めながら、自慢の味と雰囲気を楽しむ。
その間合いが、ちょうどいい。
『豚太郎』は女将の増田記子さんがひとりで切り盛りする店だ。
たまに夫が手伝うこともあるが、基本はひとり。昼の買い出し、仕込みから夜の営業まで、その働きっぷりといったら頭が下がるほど。開店は少し遅めの19時半だが、その直後には常連客がひとり、またひとりと集まってくる。
そして彼らがカウンター上の大皿料理をひと通り眺めるさまは、まるでご馳走を前に瞳を輝かせる子供のようだ。コの字という形は、女将の作業の進み具合やほかの客の動作も見えやすい。
だから、注文の頃合いをはかれるし、隣客がつまんでいる肴を「それ、こっちも」と頼んだり。それがまたいい。
女将の料理は、その人柄のように素朴で優しく、誠実で、美味しい。ある常連が言った。
「ただ料理を出すだけじゃなくて、旬の食材の味や特徴を教えてくれる。昔はそういうのはおばあちゃんとかがしてくれたけど、今は家族の在り方も変わったからね」。
聞いていた数人が、自然と頷く。コの字は会話がしやすい。客同志も、店主とも。かといって、ベッタリ話す訳じゃない。L字カウンターもそうなのだけど、コの字は角がひとつ多いから、見える顔も多い。魅力のひとつはそこにある。
正統派の形と言ってもいいだろうか。大森で45年以上愛されてきた『蔦八』のコの字のことだ。
使い込まれたカウンターは、店主だけでなく常連客もそれを大切に扱ってきたことが伺える。
小綺麗で凛とした雰囲気。中央には大きな煮込みの鉄鍋。これまたコの字酒場では珍しくない光景だ。名物の味が、今日も変わらず客を待っている。
昨年、一時閉店したこの店を屋号もそのまま受け継いだのは、常連でもあった土屋一史さん。
実は銀座で数店の飲食店を経営する社長なのだが、「古い酒場が無くなるのは残念」との思いから、店舗経営の経験を生かして再開。自ら店に立っている。
料理や接客を手伝うのは、土屋さんのご両親。そのアットホームな雰囲気と、広いコの字がある入りやすさから、最近は女性客も増えたという。大森の名店今なお健在、である。
常連客と並んで飲むカウンターの醍醐味
嬉しそうに飲み語らう常連客が印象的なのは『蔵』。
ここのコの字はキュッと細長い。だから前や斜めの客と客が近い。カウンターと椅子が高めなので中の店員と同じ目線で話せるし、客同志の程良い距離感も、独特の一体感を作り出している。
客の年齢層は幅広い。平日15時の開店を待ちわびて来る高齢の地元住民もいれば、仕事帰りに一杯の会社員や若いカップルも。ちなみに店員にはミャンマーから来た学生アルバイトもいて、愛想が良く働き者。馴染み客は孫のような歳の学生とのやり取りも楽しいようだ。
そんな常連には定席があるが、もちろん一見が座っても嫌な顔をする人はいない。逆に一見に優しい。70歳ぐらいだろうか、ほろ酔いの男性が話し掛けてくれた。「この店、初めて? 安くていいだろ。オレは毎日通ってんだ。まあ、一杯おごるよ」。
まるで自分の店のように自慢する。その誇らしげな顔もまたいい。店主の石川晃さんは話す。
「料理の美味しさや安さはもちろん大事だけど、心掛けているのは楽しめる店。実はこの空気感というか雰囲気づくりが大切で、難しいとも思うんです」
それは店と、通う客とが築き上げていくものかもしれない。
今回紹介するコの字酒場にそれぞれ、その店にしか出せない魅力的な〝雰囲気〟があるのは、詰まるところ、そこに人情があるから。
改めてそう噛み締めると、今すぐにでも、コの字酒場で酔いたくなる。
今回の記事の店舗情報
豚太郎(最寄駅:武蔵小山駅)
住宅街にポツンと灯る看板の一軒家。一見なら入るのを少しためらうかもしれない。
煮込 蔦八(最寄駅:大森駅)
あの『蔦八』の煮込みが復活した。昭和45年創業の大森の名酒場が店主の高齢により閉店したのは昨春のこと。
居酒屋 蔵(最寄駅:目黒駅)
夕方早い時間から常連客の笑い声が絶えない酒場だ。年季の入った木のカウンターも実にいい。
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