音楽だけでなく、生き方に影響を受けた「師匠」
生きていく上で師と呼べる存在は大切だ。様々な道を示してくれる導師は、何も直接的に指導してくれる人とは限らない。自分が勝手に師と決め、その言動を人生という道をゆく指標にさせていただければ良いのだ。心の師で良いのだ。そういう人~師がいると、何か困った時や思考がいきどまった時に、師ならどうお考えになるだろうかと発想できる。そういう存在が何人かいると人生の迷いは少なくなる。
ぼくが音楽シーンで勝手に師と仰いでいるのが西岡たかし師匠と大滝詠一師匠だ。おふたかたは素晴らしい音楽を残すだけでなく、その生き方がぼくに感動を与えた。おふたかたはとにかくGoing My Wayなのだ。妥協をしないで人生をどう生きるか、それを教えてくれる師匠なのだ。
布団をかぶってFENを聴いた少年時代
大滝詠一は1948年7月28日、岩手県で生まれた。幼い頃から音楽好きだった。いわゆる昭和歌謡からスタートして洋楽をFEN(米軍極東放送網のこと。1997年からはAFNに改称)などのラジオ放送で聴いた。
“まだ民放AMが深夜放送をやっていない頃、夜中に、家族に知られないように布団をかぶってFENを聴いてたね”と幼い頃の音楽体験を教えてもらったことがある。
ぼくもそうだったが団塊世代の音楽少年はラジオを聴いて必死でメモを取ったものだ。例えばヒットチャートの分かるラジオ番組なら今週の10位から1位までをDJが紹介するのを書き取る。コンピュータはもちろん、カセットデッキさえ無かった時代、耳で聴いてメモを取るしか記録の方法は無かったのだ。
不便な方法ではあったが、記録を手で行うと記憶には役立つ。大滝詠一のヒットチャートのランクなど尋常ならざる記憶力は幼い頃のラジオの書き取りにあったと思う。
“音楽を作ることはミュージシャンとして好きだけど、その前に音楽ファンとしての自分がいるんだな。音楽を聴くということは、自分をワクワクさせることなんだ。このワクワク感は何十年過ぎても忘れられないね”
そう語った大滝詠一は永遠の音楽少年として生き続けた人だと思う。音楽が生活の手段でなく、音楽に寄り添い、ファンでいることを選んだ人生だった。そこが大滝詠一という音楽人の素晴らしさであり、ぼくが師と仰ぐ理由のひとつになっている。