国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。歌手・鈴木雅之の第2回は、2021年12月31日のNHK紅白歌合戦のエピソードから始まります。そして、筆者の回想はそこから30年前へ。なぜ、マーティンこと鈴木雅之はメンバーから「リーダー」として慕われているのか。その背景が明かされます。
桑野信義が出演した2021年12月31日の紅白歌合戦
2021年12月31日、鈴木雅之は紅白歌合戦に出場した。出演が報じられた時、どの曲を歌うのだろうかと気になった。結果、歌われたのは「め組のひと 2021紅白ver.」だった。
「め組のひと」が若年層に再人気となっているのは知っていたが、この曲を歌うとは思わなかった。年が明けてしばらくして、長年、鈴木雅之~マーティンのマネージャーをしているAさんと電話で話す機会があった。そこで、何故、「め組のひと」を選んだのか訊いてみた。若年層に再人気というだけでなく、この選曲にはもっと深い訳があった。どうしても紅白のステージにシャネルズのメンバーだった桑野信義を参加させたかったのだ。
桑野信義は大腸がんを患い、2021年2月、手術を受けた。桑野が闘病中、マーティンはその身を案じ励ましのメールも送っていた。マーティンにとっては桑野はいつまでも可愛いシャネルズのメンバーなのだ。この気配りこそが、シャネルズのメンバーやマネージャーのAさんなど多くのマーティンを慕う者に“リーダー”と呼ばせているのだ。
1981年に行った沖縄で……
シャネルズのデビューの翌年となる1981年、ぼくは1冊の本を企画した。タイトルは『Ladies and Gentlemen!This Is The Greatest Doo‐Wop Group THE CHANELS』というものだった。写真に文章を組み合わせたムックと呼ばれる本だ。写真は今では大御所となり、マーティンの最新作『DISCOVER JAPAN DX』の写真も撮っている三浦憲治に依頼した。
1981年6月27日、12時10分羽田発沖縄行、JAL903便。外はしとしと雨で梅雨寒だった。ぼくが着席してすぐに、マーティンを中心とするシャネルズとスタッフの面々が乗り込んできた。シャネルズの面々は前夜も遅くまで仕事だったためか疲れた顔をしていた。当時の彼らは殺人的なスケジュールをこなしていた。14時30分、那覇空港着。梅雨明けしていた沖縄の空は真っ青だった。フライトの時間に休めたのと、この青空に元気付けられたのか全員、笑顔に変わっていた。
その夕方、ラジオ局極東放送に向かう。放送局前の広場でライヴを行うためだ。6000人を超えるファンの前でライヴがスタートし、熱気に包まれて20時30分に終了した。
翌28日から沖縄で本当に久々の3日間のオフが始まった。シャネルズに同行した20人近い取材陣も帰京し、メンバー、事務所のスタッフ、ぼくたち3人の取材スタッフだけとなった。朝早くホテルを出て平安座(へんざ)というビーチに向かった。車で1時間以上かかって着いた平安座は、空の青と海の碧しかない天国のような場所だった。宿は海辺にポツンと建っていた旅館。その前に広がる海の先に無人島があった。そこへ2艘の小さな船で全員が行った。
ふざけ、泳ぎ、釣りをした。誰かが持ち込んだラジカセからドゥーワップ、古いR&Bが流れていた。マーティンたちは仕事を忘れ、ぼくは取材を忘れる至福の時間が過ぎて行った。