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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。大滝詠一の第3回では、8年前の年の暮れに亡くなったこの希代のミュージシャンの創作背景を俯瞰します。時代を越えて口ずさめる楽曲は、どのような思考のもとで生み出されたのでしょうか。

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楽曲を生み出す根底にあった「海外のポップス」

2013年12月30日、大滝詠一は突然自宅で倒れ、この世を去った。65歳だった。その死は日本でポップミュージックを作る人たちにとって大きな痛手だったと思う。後継者として、かつて大滝詠一とナイアガラ・トライアングルを組んだ山下達郎がいるものの、純粋に1950~60年代のポップスを研究し、それを日本風に消化してヒット曲を生み出す水脈の源泉は失われた

大滝詠一が楽曲を生み出す作業の根底には常に海外のポップスがあった。彼が自分の楽曲を語る時、この曲は19××年の全米チャート×位の〇〇を下敷きにしているとよく発言していた。よほどの音楽マニアでない限り、下敷きになった曲は知らない。大滝詠一の発言によってその曲を初めて聴くというケースが多かったのではないだろうか。下敷きにしているといっても、いわゆるパクリではなく、その下敷き曲を分析しつくし、大滝風ポップスに変容させる。それが大滝詠一のポップ・マジックだった

とにかく徹底した収集家であり、ただ収集の成果に満足することなく、収集したものを自分なりに分析して自分の思考形成に組み入れるタイプの人だった。その行為にはある種の潔さがあった。

2020年発売のデビュー50周年記念盤『Happy Ending』(右から2枚目)など大滝詠一の名盤の数々

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岩田由記夫
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