第lホール パー5 意のままにならぬゲーム
その3 神様、お戯れはやめて!
伝説のゴルファーがかかった病気
少し前、私はヴェルサイユの鬱蒼たる森に息づく名コースのテラスに座って、35年前に天才と呼ばれた老人の呟きに耳を傾けていた。
彼は英語音痴、私はとくにフランス語音痴、従って会話は小川を漂流する棒切れのようにつっかえ、澱み、ときに小さく挫折もしたが、そこはゲームのエスペラントたるゴルフ談義、程よく通じたから不思議である。私は尋ねた。
「35歳の秋ごろ、あなたの身に何が起こったのか、話してくれませんか?」
「それよりも、なぜいまになって私に興味を持つのかね」
「凄い記録を見つけたからです。
1962年10月に行われた欧州4ヵ国対抗戦の2日目、個人戦に出場したフランスのジャン=ピエール・マレー選手はアウト31、イン31、実に10アンダーの62でホールアウト。コース新、大会新記録で優勝したのは当然としても、さらにアマゴルフ界不世出のスコアとして『ギネス・ワールド』のスポーツ版にも掲載されました。
ところが翌年、不意にゴルフ界から足を洗って、どこかに消えてしまった。一体どこへ行ったのですか? マレーさん」
「ベルギーだ」
「そこで何を?」
「花の栽培をやっていた」
「なぜ急に、ゴルフから逃げだしたのでしょう」
「病気だよ。トップ・イップスになったのさ」
「まさか!」
翁は、苦渋に満ちた声で言った。
「自分でも『まさか!』と思ったよ。ある日突然、ひどいことになった」
ゴルファーが冒される病気の中で最も滑稽、かつ破壊的といわれる奇病患者に出会うとは、思っても見ないことだった。まさに千載一遇のチャンス、ひめやかに囁かれてきた奇病の実態を聞くのにマレー以上の人物はマレだろう。