SNSで最新情報をチェック

今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。 「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第2回は、スコットランドに生まれたゴルフが、世界中に広がって行く過程で、初めてこのスポーツを見た人々がどんな感想を持ったかについて。

icon-gallery

第lホール パー5 意のままにならぬゲーム

その2 初めて見た「狂気のゲーム」

狂気の形相よろしく、小さなボールを追い回す

「エディンバラでは、実に多くの市民がリンクスと呼ばれる砂丘に繰り出して、まさに和気藹々(わきあいあい)、ゴルフという名のゲームに打ち興じていた。これは、打球面に動物の角など挿入した不思議な棒を手に身構え、弾力性豊かな羽根詰め革製ボールを信じられないほど遠くまで飛ばして、一つの穴から次の穴へと器用に沈めていくゲームである。

連中ときたら、天候と光線が許す限り、上は元老院議員から下は市井の商人まで、あらゆる階級の者が混沌と入り乱れ、多くは熱中のあまりシャツ姿となって狂気の形相よろしく、小さなボールを追い回すのだった」

トバイアス・スモレット(1721~71年)は、スコットランドのダンバートン生まれだが、なぜかゴルフと無縁だった。グラスゴー大学で医学を学び、ロンドンに出て軍医の経験が5年、のちに軍艦に乗り込んで「カルタヘナ遠征」に従軍する。

帰国後、ロンドン市中で外科を開業したが、何しろ軍医は荒っぽい。一度でも彼の病院を訪れた患者は、おびえて再び近寄らなかったと言われる。

借金がかさんだところで廃業、かねてから志していた文筆活動に入ると、1748年には悪党小説で脚光を浴びる。

のちの作家たち、とくにディケンズに大きな影響を与えた彼は、短い文章の中に作中人物の性格をキラリと描写する遣い手だった。

悪党小説とは別に、旅行記もまた彼の得意とするところ、1771年に発表された『The Expedition of Humphry Clinker』は、いまなお評価の高い名著である。その中に、いきなりゴルフが登場する。恐らく冒頭に紹介した全文こそ、史上初めてのゴルフ実見録に間違いないだろう。

「狂気の形相よろしく、小さなボールを追い回すのだった」

いまも昔も、ゴルファーに変わりはないと思い知らされる。この一文にヒントを得て、初期の時代、人々の目にゴルフがどう映ったのか調べたところ、これがなんとも滑稽千万。

たとえば、初めてロンドン子にゴルフの全貌が紹介されたのは、意外にも新しくて1862年のことだった。この年の5月に出版された『London Society』に、C・A・ドイルが描いた2枚のエッチングともども、ゲームの成り立ちから競技法までが詳しく掲載された。その冒頭部分。

「スコットランドから出稼ぎに来た連中が、週末ともなると、こんなにたくさんどこに隠れていたのかと呆れるほど這い出して、市中の公園に群れ集まるのはご存知の通り。連中は、しきりに棒のようなものを振り回しながら、小さなボールを小さな穴に押し込めようと火事場の豚小屋そこのけ、大騒ぎをやらかすのだった。これが14世紀ごろからスコットランドに伝わるゴルフであって、前方の決められた穴に少ない打数で入れた者が勝つ単純明快なゲームである」

この光景、かつて休日になると原宿の公園に集まった外国人労働者の姿が彷彿させられる。

次のページ
地べたに穴を掘る奇人で溢れている...
icon-next-galary
1 2icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

おとなの週末Web編集部 今井
おとなの週末Web編集部 今井

おとなの週末Web編集部 今井

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。4月15日発売の5月号では、銀座の奥にあり、銀…