国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」の音楽家・加藤和彦の第4回は、愛妻の“ZUZU”こと安井かずみとの思い出についてつづります。インタビューで自宅を訪れ、加藤和彦、安井かずみ夫妻と語り合った内容とは―――。夫妻の関係性が強く伝わってくるエピソードです。
加藤和彦のヨーロッパ3部作
2度ほど加藤和彦をインタビューした1970年代が終わり、1982年の2月、加藤和彦の自宅に招かれた。正確にはインタビューしたいとお願いしたら、自宅へ来ませんかと言われたのだった。
その頃の加藤和彦はヨーロッパ3部作と呼ばれる1979年発売の『パパ・ヘミングウェイ』、 1980年発売の『うたかたのオペラ』、1981年発売の『ベル・エキセントリック』をリリースし終えた後だった。ヨーロッパ3部作とはイメージの舞台はヨーロッパ、1977年に再婚した作詞家の妻、安井かずみが全曲作詞、作曲が加藤和彦というコンセプト・アルバム・シリーズだ。“同じことはしたくない、常に新しいことをしたい”と言い、実際にそうしてきた加藤和彦の新境地がヨーロッパ3部作だった。
“詩人”としての安井かずみ
沢田研二など多くのヒット曲の作詞家として知られた安井かずみは裕福な家庭に生まれ育ち、作詞家として有名になる前、ヨーロッパで暮らし、現地の社交界にも出入りしていた。まだ1ドルが360円、一般庶民には海外旅行が夢だった時代のことだ。
恐らく、そんなヨーロッパ好きの安井かずみと、同じくロンドンなどヨーロッパが好きな加藤和彦が意気投合して、ヨーロッパ3部作が生まれたのだろう。実際、加藤和彦に話を振ると“彼女と色々と話をして行く内に、ああいうコンセプトになった”と語っていた。
ヨーロッパ3部作の詞は、安井かずみが当時引き受けていたヒット曲のそれと大きく異なっている。私的というか、“詩人”としての安井かずみの顔が見える。売ることを目的にしないなら、こういう詞を安井かずみは書きたかったのだと思う内容だ。
イギリスの豪邸の一室!?
加藤和彦と安井かずみの暮らす家を訪ねて応接室のような部室に案内された。そこは見事なヨーロッパ調の部屋だった。座ったソフアはアンティーク風で、下世話な話だが1台、数百万円はしそうな豪華なものに見えた。テレビやオーディオなど無機的なものは一切置かれておらず、ヨーロッパ調、ぼくの感じたイメージからするとイギリスの豪邸の一室、そんな感じの部屋だった。
加藤和彦と共にぼくを迎えてくれた安井かずみは“お茶にしましょう”と言って、紅茶を運んできてくれた。器もまたヨーロッパ調でウェッジウッドのターコイズだった。何故ウェッジウッドと分かったかと言うと、そのターコイズはぼくの大好きな茶器だったからだ。