新しい境地に導いてくれた
“紅茶、美味しいですね”とぼくが言うと、“ZUZU(ズズ、安井かずみの愛称)がロンドンから取り寄せているんだ”と加藤和彦が教えてくれた。ウェッジウッドの茶器、ロンドンからお取り寄せの紅茶。1980年代としては相当に豪勢な暮らしぶりでふたりがヨーロッパの上流階級のような暮らしをしていることが伝わってきた。
インタビューの間、安井かずみはぴったりと加藤和彦に寄り添っていた。その姿は幸せそうで、まるで絵のようだった。安井かずみは加藤和彦より8歳年上、いわゆる姉さん女房なのだが、彼女は若々しく、そんな年の差はまったく感じられなかった。ぼくが加藤和彦に質問し、彼が答える。すると安井かずみもウンウンと頷くのだが、話に割り込むことはなく、ただ加藤和彦を見守っていたのが、今でも鮮やかに記憶に残っている。
“フォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)、ソロ、サディスティック・ミカ・バンド。常にやりたいことをやってきた。で、再びソロになってZUZUと出逢った。彼女を理解し、愛していると、ふたりで何かやりたいねと話し合っている内に『パパ・ヘミングウェイ』の構想がまとまった。1作だけのつもりだったのが、やっている内に楽しくなって次の2作ができた。あの3作は、ZUZUがいたから可能になったアルバムなんです。ぼくを新しい境地に導いてくれたZUZUには感謝しても感謝しきれません”
そう加藤和彦は語っていた。
愛妻を失ったあとの活動
加藤和彦はそんな安井かずみを1994年3月17日、ガンのために失ってしまう。その後も 彼は音楽活動を続けるのだが、ぼくが思うに安井かずみと暮らしていた時代に比べて、どこか精彩を欠いていたように思えてならない。
晩年、メンタルの病に苦しんでいた加藤和彦は2009年10月16日、自殺によりこの世を離れた。享年、62。
その死のニュースを聞いた時、ぼくはものすごく落ち込んだ。心のかけらを失ったような思いだった。フォーク・クルセダーズ時代の名曲「悲しくてやりきれない」の歌詞にある“胸にしみる空のかがやき”の中に彼が消えてしまった、そう思えた。今でも大好きな釣りの最中、ふと青空を見上げると柔らかな笑顔をたたえた加藤和彦を思い出す
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。