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青森県弘前市は日本一のりんごの産地だ。ただ、近年は農繁期の労働力不足が大きな課題に。そこで、行政と企業がタッグを組んだ農家支援の取り組みが始まった。「ひろさき援農プロジェクト」。令和5(2023)年秋にはその一環として、ツアー参加者が収穫を手伝う官民連携の「援農ボランティアツアー」が実施され、注目を浴びた。現地でのりんご収穫体験と、りんご果汁が原料のお酒「シードル」の製造現場を通じて、日本伝統のりんごの産地のいまをリポートする。

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弘前市のりんご生産量は全国の4分の1

73万7100トン。これは全国のりんご収穫量(令和4年産、農林水産省の統計より)の総計だ。このうち、青森県は43万9000トンで約60%を占める。一方、弘前市は、市によると、18万2600トン(推計)。実に全国の収穫量の4分の1が「弘前市産」となる計算だ。青森県産のりんごの販売額は、令和2(2020)年産が1008億円。平成26(2014)年から7年連続で1000億円を超えている。

弘前市でりんご栽培が始まったのは、明治時代に遡る。青森県庁にりんごの苗木が配布されたのが明治8(1875)年。その2年後には「弘前市在府町養蚕家山野茂樹が屋敷畑(現在の弘前大学医学部)に試植したものに初めて結実し、8月15日採取」(青森県のHPより)されたという。続いて「弘前の旧津軽藩士族が1ヘクタール以上の果樹栽培者11名で『果樹会』を結成」(青森県庁のHPより)したのが、明治17(1877)年のことだった。

「弘前シードル工房 kimori」のシードル(左)や、「ニッカ弘前 生シードル」など“弘前発”のシードル各種

「後継者がいない」

ただ、好調のように見える伝統の産地にも、深刻な高齢化の波が押し寄せている。後継者不足などで令和2(2020)年までの5年間に、弘前市のりんご販売農家数は、平成27(2015)年に5719経営体だったのが、令和2(2020)年には4687経営体に。1000経営体以上、2割近くも減少した計算だ。令和元(2019)年度に市が行った市内農家約6500世帯が対象のアンケートでは、回答した2606件のうち約7割が「後継者がいない」と労働力に対する不安を訴えたという。

弘前市農政課の澁谷(しぶたに)明伸課長は、この結果に「担い手の確保が重要」と危機感を口にする。そんな状況下、令和5(2023)年、アサヒビールとニッカウヰスキーによる弘前市への企業版ふるさと納税を活用して「ひろさき援農プロジェクト」がスタート。農家支援の取り組みのひとつとして同年秋に行われたのが日帰りの「援農ボランティアツアー」だった。

取材での収穫体験

市とアサヒビール、ニッカウヰスキー弘前工場、JTBが連携し、同年10月から11月にかけ計5回実施されたツアーには県内外から申し込みがあり、募集定員300人はすぐに埋まったという。参加費は、弘前市の助成により無料(弘前駅までの交通費・宿泊費は自己負担)だ。参加者は、市内の支援先農家に向かい、午前と午後、収穫作業で汗を流した。

高橋さんの農園で収穫体験

その支援先農家のひとつ、高橋哲史さん(50)の園地を取材で訪ねた。第1回のツアーの翌日だ。風が穏やかで、やわらかな日差しがりんごの樹々に降り注ぐ。

「ハサミは使いません。手でやります」

取材の参加者を前に、高橋さん自らお手本を見せてくれた。指導にもとづいて、やってみる。枝とつながった窪みに指を添えて優しくひねると、果実にツルが残った状態できれいにとることができた。注意深くすれば、初心者でも最初からうまくできる。

「ツルがとれてはいけないんです。とれちゃうと、値段は3分の1になってしまいますから」

りんご農家の高橋哲史さん
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おとなの週末Web編集部 堀
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