日本のシードルの発祥の地
収穫したりんごは、出来栄えによって、5段階のランクに分別され、箱に詰められる。1箱(約30個入り)で一番良いものは8000円から1万円の高値がつくことも。逆に、傷がついたものは、加工用に回される。一番安くて、1箱500円ほど。味は変わらないのに、見た目で、こんなにも値段に差がついてしまう。
高橋さんは、りんごの栽培だけでなく、弘前市りんご公園内に開いた工房でシードルも作っている。代表を務めるのが「弘前シードル工房 kimori」。平成26(2014)年からスタートし、今では、年間2万本(750mlと375ml)を製造する。39の個人・団体(2023年10月時点)で構成する弘前シードル協会の会長でもある。
実は、弘前市は、日本におけるシードルの製造の先駆けの地とされている。昭和29(1954)年に、「朝日シードル株式会社」が設立され、2年後「アサヒシードル」を発売。その後、販売を受託したニッカ社が昭和35(1960)年に事業を引き継ぎ、現在のニッカウヰスキー弘前工場にいたる。「ニッカシードル」の製造・販売が始まったのは昭和47(1972)年からだ。
「ニッカのシードルは全国で売られているけど、弘前市とシードルの関係はほとんど知られていない」。少子高齢化で、郷里の経済が衰退し、りんご農家も減少していくなかで、高橋さんが、注目したのが、シードル作りだった。
「あなたたちのシードルを作ってください」
平成20(2008)年にプロジェクトを立ち上げ、自分たちが栽培したりんごを使ってシードルを作ってほしいとニッカウヰスキー弘前工場を訪ねたところ、返ってきた言葉が「あなたたちのシードルを作ってください」。つまり、弘前の農家がそれぞれ、オリジナルのシードルを作れば、地元だけでなく全国の消費者の興味を引く。つまり、新たな収益源となり、地域活性化につながる。
今や、市内では、数々の個性的なシードルが作られ、国内外で高い評価を得るようになった。傷もののりんごが、地域の魅力創出に貢献する―――。弘前で、そんな幸福の循環が生まれている。
文・写真/堀晃和