開業当時の東京停車場の写真。停車場とは「駅」を表す鉄道用語で、一般には東京駅と記された=写真/宮内公文書館蔵
開業当時の東京駅を表した図面。今とは異なり、向かって左側(北口)が乗車専用の改札口、右側(南口)が降車専用の集札口に分かれていた。エキナカなど影も形もない時代ゆえ、今のようにホーム下を南北に行き来することはできなかった。中央上部に帝室玄関があり、そこからはホームへとつながる帝室用通路が見てとれる=写真/宮内公文書館
帝室用玄関を入った広間は、2階部分まで吹き抜けとなっていた=写真/宮内公文書館蔵
帝室用玄関を入ると、控えの間「便殿付属室(びんでんふぞくしつ)」があった=写真/宮内公文書館蔵
空襲前の大廊下。床材は大理石で、中央には絨毯(じゅうたん)が敷かれた。向かって左の扉を開けると帝室用玄関の広間、右の扉を開けると控えの間(便殿)があった。この撮影者の立ち位置の右横にはプラットホームへとつながる帝室用廊下(通路)がある=写真/宮内公文書館蔵
帝室用廊下(通路)も空襲焼失前は、大理石が敷き詰められていた。4つあるプラットホームのうち、一番手前のホームだけはつながっていなかった=写真/宮内公文書館蔵
3つある控えの間のうち、梅の間を写したもの。駅の会議室として使用されることもあるのだとか=写真/星山一男コレクションより(筆者所蔵)
新幹線専用改札口を通られる天皇ご一家(当時は皇太子ご一家)=2009(平成21)年9月5日、東京駅
一般の入り口から新幹線のりばへと向かわれる秋篠宮さま=2007(平成19)年2月9日、東京駅
上皇ご夫妻(当時の天皇、皇后両陛下)も、丸の内駅舎の工事期間中は一般の入り口を利用した=2010(平成22)年5月24日、東京駅
中央玄関から出発する御料自動車を見送る、JR東日本とJR東海それぞれの東京駅長。右側手前から。JR東日本駅長、JR東海駅長、JR東海社長=2006(平成18)年5月22日、東京駅