今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第49回目に取り上げるのは1990年に発売された日産パルサーGTI-Rだ。
日産とホンダの統合は決裂
2024年12月23日に日産とホンダは両社の経営統合に向けた検討に関する基本合意書を締結したと合同会見を開いた。実現すればトヨタ、VWグループに次ぐ世界第3位となるグループ誕生と年末年始のクルマ界の話題を独占。
その会見時には1月中旬までには目処をつける、と発表していたもの遅々として進まず。そして、2月13日に基本合意書を解約し、経営統合に関する協議・検討を終了すると三菱自動車を含めて3社からリリースが出され2024年度第3四半期の決算とともに、日産は内田誠社長、ホンダは三部敏弘社長自らが、統合が決裂した理由について会見した。もちろん、今回は合同ではなく別々に。
詳細は割愛するが、当初は統括会社を作り、その下に日産、ホンダ、そして三菱が紐づく形を想定したが、ホンダが提案した日産の完全子会社化に対し、対等での統合を目指した日産が拒否し、物別れに終わったというもの。
日産、ホンダに対しどちらも賛否両論あるが、今後日産がどうなるのか? 会見で内田社長は完全に否定したが台湾の鴻海の陰はちらついているし、ホンダとは違う自動車メーカーと提携するのかなどについては3~4月には明らかになると思われる。
パルサーはチェリーの後継モデル
今回取り上げるのは1990年にデビューした日産パルサーGTI-Rだ。パルサーは1978年に初代モデルが登場している。日産車のヒエラルキーではサニーの下でチェリーF-IIの後継となる。VWゴルフ、ルノーサンクなどの欧州コンパクトのライバルとして欧州でも販売を開始。
2代目はアルファロメオとの提携により誕生したアルファロメオアルナ。これは歴史的に見て奇異なモデルと言われていて、パルサー(つまりデザインは日産)にアルファロメオエンジンを搭載したモデル。なんで弱者連合? アルファデザインに日産エンジンを搭載とそれぞれの得意分野で融合していれば……、と揶揄されることが多いクルマだ。
ひと味違うコンパクトハッチ
筆者にとって印象深いのが3代目パルサーです。ヨーロピアンテイストを纏った洒落たデザインは当時の日本のハッチバックでは異色の存在だった。特にミラノX1(アルファロメオとの提携によって2代目から設定される)のパワフルではないけどキビキビ走り、しっとりした乗り心地を実現していたのにビックリ。日本車ではドイツ車に追い付け追い越せを目標として、ターゲットがドイツ車ゆえ硬いアシが好まれていたなか、新たなテイストを提示した意欲作だったと思う。
3代目が現役の1986~1990年といえば、日本は4WD技術が続々と登場。そのなかで日産はパルサーにトリプルビスカス・フルタイム・フルオート4WDを搭載。この4WDシステムこそ、今回紹介するGTI-Rに大きく関係してくる。