今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第83回目に取り上げるのは1983年にデビューした3代目ホンダシビックだ。
ホンダはクルマ界の常識を超越
ホンダ技研工業(以下ホンダ)は、1963年に四輪事業に進出。初の市販モデルは軽トラックのT360。軽トラながら、そのエンジンは日本初のDOHCといういわくつき。さらに同年からF1に初参戦を開始するなど、既存の常識を覆すメーカーだ。二輪レースに参戦して実績を残していたとは言え、四輪の市販車も商用車だけというなかで、四輪モータースポーツの最高峰であるF1に参戦するのは、無謀であるとも言われていたが、その後の活躍は周知のとおり。型破りなホンダの思想=創始者の本田宗一郎氏の理念なのだが、世界的に見ても稀有な存在だ。
シビックがホンダの名を世界に広めた
四輪の市販モデルでホンダの名前を世界的に知らしめたのが1972年にデビューした初代シビックだ。ホンダ初の小型乗用車である空冷エンジン搭載のホンダ1300の失敗した後の登場した初代シビックはコンパクトハッチバック(3ドア/5ドア)と4ドアセダンをラインナップし、日本ではトヨタカローラ、日産サニーに果敢に挑んだ。
当時世界で最も厳しい環境基準であるアメリカのマスキー法にCVCCエンジンでいち早く適合させたのはホンダで、その効果もあり世界的なヒットモデルとなった。初代シビックは日本でも1972~1979年までに約70万台を販売し、ホンダの大躍進に貢献した。
初代に比べて2代目は台数減
その大成功を収めた初代の後を受けて1979年に登場した2代目は、初代のキープコンセプトで登場。サイズアップを含めクルマは進化していたが、販売面では初代のような成功を収めることはできなかった。「ヒットした次のモデルは難しい」というのはクルマ界の不文律のようなもので、各メーカーとも頭を悩ませる。キープコンセプトは変わらない安心感が評価されれば成功の要因になるのだが、変わり映えがしない、新鮮さがないなどと判断されれば失敗の要因となる。まさに諸刃の剣なのだ。クルマ界で2代続けてヒットさせることは本当に難しい。そして2代目シビックは、キープコンセプトが効果的ではなかった、もっと言えば仇となった一例と言える。
2代目シビックは1979年から1983年までに約28万台。初代は7年、2代目は4年と販売期間が違うが、初代が約8万7500台/年に対し、2代目は約7万台/年。年間2万代弱の差はそれほどでもないように感じる。実際にはホンダとしては成功したと主張するかもしれないが、1980年代に入り日本車の新車販売台数が伸びているということを考えると、2代目の減少度合いが大きく映る。




















