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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第106回目に取り上げるのは1987年に登場した日産Be-1だ。

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TMS1985に出展

日産は1985年の東京モーターショー(TMS)に数多くのコンセプトカーを出展。日産ブースの主役はミドシップ4WDのスポーツカーであるMID4(ミッドフォー)で、日産だけでなくこの年の東京モーターショーの超目玉グルマだった。その姿をひと目見ようと平日でもクルマ好きが日産ブースに押しかけ、物凄い盛り上がりを見せたという。伝聞表現になっているのは、筆者はこの年は故郷広島で大学浪人中だったため、TMSには行けておらず、クルマ雑誌で見ただけだからだ。大学で上京してから1987年以降は、現在のジャパンモビリティショー(JMS)まで皆勤賞なのだが……。

TMS1985の人三ブースの目玉がミドシップ4WDスポーツのMID4

そのTMS1985で日産は次世代高性能高級セダンのコンセプトカーである「CUE-X(キューエックス)」をミッド4と並ぶ主役として出展していたが、ユーザーが注目したのは、『ここちよさ優先のナチュラルカー』と銘打って出展されていたBe-1だった。

TMS1985に出展されたコンセプトカーのBe-1

1年以内に市販せよ!!

ショーに出展されたBe-1への反響は日産が想定していたものをはるかに上回り、ショー期間中もショーが終わった後も「いつ市販されるのか? 価格はいくらくらいになるのか?」という問い合わせが殺到したという。

Be-1はTMSでの反響が大きくて市販化にGOが出されたと言われている。それは間違いではないが、厳密に言えば日産はユーザーの反響を見るためにTMSに出展し、反響の大きさから勝算ありと判断し、市販化を決めたのだ。

そこからが速かった。日産の上層部から「1年以内に市販化せよ」と厳命が下ったという。鉄は熱いうちに打て、というやつだ。日産は1985年に石原俊氏から久米豊氏に社長が交代し、企業としての機動力は高まっていた。

TMS1985での反響の大きさには日産も驚いた!!

開発・生産部門は大慌て

1年以内の市販化ということ慌てたのが開発、生産部門。ショーモデルは傍から見ればいつ市販してもいいほどの完成度を誇っていたように映ったが、「ショーモデルはいわばモックアップレベル」(日産関係者)というものだった。それゆえに生産性などはいっさい考慮されず、Be-1のあのカワイイデザインを作り上げただけのものだったということ。素材、パーツの分割、耐久性などを考えなくていいワンオフのショーモデルだからBe-1のデザインが具現化できたわけで、これを実際に市販モデルに落とし込むことは難しい。価格の安いコンパクトカーだからコスト制限も厳しい。

ハイドレインジアブルー のボディカラーは最もシックなイメージ

一方生産部門でも、日産の主力コンパクトであるマーチの生産ラインを減らして日産の工場で新規のラインを増設することはできない。これこそショーモデルがすぐに市販化できない理由でもある。さてこの難問に対し日産はどうしたか?

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意外なある大物が尽力
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市原 信幸
市原 信幸

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