動物写真家・小原玲さんを語る

不肖・宮嶋、 動物写真家・小原玲さんを悼む(後編)転機となった「天安門事件」取材

それから小原氏の都内の実家を事務所がわりにして、写真通信社をでっち上げし…もとい立ち上げ、しばらくフィリピン革命直後のマニラを拠点に二人して巣くっていた時期があった。 海外の雑誌にも写真を配信しようと、実績作りのためブッ…

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それから小原氏の都内の実家を事務所がわりにして、写真通信社をでっち上げし…もとい立ち上げ、しばらくフィリピン革命直後のマニラを拠点に二人して巣くっていた時期があった

海外の雑誌にも写真を配信しようと、実績作りのためブッソウな異国の地を駆けずりまわっていたもののフライデーの看板もない二十代のガキカメにスラスラでかい舞台はめぐってこず、二人共新妻を国に残し、イライラを募らせるばかりであった。

「オバラアキラ」から「オハラレイ」に

そんなマニラ時代である。小原氏に英語表記の氏名を「オバラアキラ」でなく「オハラレイ」としたらと提案したのは、姓は「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラからで、アメリカ人なら一発で覚えてくれるし、発音も簡単である。名はマン・レイ同様いかにもカメラマン向きの名であると。彼がその事を覚えていたかは不明だが、ただ名は「RAY」でなくローマ字表記で「REI」としていた。(※以下に掲載の写真説明に注記あり)

そんなマニラ時代に貯金を食いつぶし、ほうほうの体で帰国してからは、小原氏はフライデーの対抗誌「フォーカス」のカメラマンに落ちつくが、私の方は完全なヒモ生活を送っていた

やがて、これまた二人共新妻に逃げられ、私の方は自業自得のくせに、二十年以上女性不信に陥り、すさんだ生活がつづいたが、小原氏は再婚を果たす。

天安門事件の作品が「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に

さらに1989年の天安門事件での作品が「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に選ばれる。天安門事件はフィリピン革命同様、私も行こうと思えば行けた現場である。事ここに及んでは私は小原氏とは周回遅れの大差をつけられたと、一時カメラを手ばなす覚悟を決めたほどである。

小原氏の後の人生を変える事になるその一カットは、中国の民主化を求め、天安門広場に大挙終結した学生らを強制排除するため広場になだれ込んだ人民解放軍の戦車(装甲車)を学生らが手をつなげて止めようとしているように見える、今も変わらぬ中国共産党政府が人民の人命・人権を鴻毛としか見ない事を表す作品でもあった。

「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に選ばれた「手をつなぐ学生達」。小原玲さんのブログによると、撮影データは「ライカM3 ズミクロン35mm/2 F2開放 1/8 RHP増感」

この天安門事件後、中国の民主化運動は完全に挫折、共産党一党独裁は、中国国内でも、国際社会でもやりたい放題と、まさに中国の未来をも決定づけた一枚ともなったのである。

その一枚が撮られたのがライカM3である。そう、今、ここにあるのはその際使用されたズミクロンであろう。

この作品については、戦車(装甲車)を止めようとしている学生でなく、非暴力を訴えていた学生らが興奮した仲間を戦車に近づけないようしているところなど、全く別の真相があり、それを伝えられなかった後悔が動物写真家に転身した理由と本人は後に語っていた

小原玲さんが撮影した天安門広場の様子 ※小原玲さんは戸籍上は「おはら」だが、FRIDAY当時は「おばら」で通していた

また、自分が撮り、雑誌に掲載されたアザラシの写真を大切そうに手帳か何かにはさんでいた女の子を電車で見て、写真家冥利に尽きるとも語っていたが、私は彼が報道写真家としての矜持も忘れられなかったと信じたい。でなければ、結果的に彼の終(つい)のすみ家となったアパートの一室に、まるで大切な思い出を胸の奥にしまいこむように、ポーチに包みこんであの時のレンズを近くに置いていた理由がないではないか。

「アザラシの赤ちゃん」の写真とのギャップに驚く

彼の三度目の結婚披露宴はアザラシが結んだ縁からか、池袋のサンシャイン水族館で閉館後の夜にとり行われた。水族館側も新郎の正体から参列者のメンツを恐れたのか、当時も大人気のラッコの展示窓に黒いカーテンで囲み、ラッコと新郎新婦と記念写真を期待していたらブーイングが起こったものだった。

新婦は作家の堀田あけみさん、小原氏と三人の子供をもうけ、添いとげたことになる。

しかし、彼の三度目の結婚や予想外の転身を一番喜んでいたのは新郎新婦でもなく、この私ではなかったろうか。何ちゅうても「目の前のたんこぶ」がいなくなったのやから。せやなかったら三度もご祝儀巻き上げられんぞ。

いややっぱり喜んだというより驚いた方が大きかった。「小原玲(おばらあきら)」を知る者として「アザラシの赤ちゃん」の写真とクレジットのあまりのギャップに皆驚かされたのである。

しかし、目のつけ所はさすが小原とスルドかったと言える。一概に動物写真家というても、鯨や水中生物もおれば、象やライオンを追ってサバンナに泊まり込むカメラマンもおる。いやいやネコだけ撮ってる写真家までいて、それがまあよう売れとるのである。私も宗旨がえしようかいなと思うほどまでに。

シマエナガにしろ、最期まで追いつづけたモモンガにしても、被写体はかなり小さい。シマエナガに至っては私も北海道で天然の実物を見たが動きもかなり速い。ハッキリ言うてマッハで飛び去る戦闘機より撮るのはむずかしい。モモンガの飛行シーンに至ってはどうやって撮るのか想像もつかない。

それらを可能にしたのは最新のデジタル撮影技術である。彼の網走のアパートには最先端のミラーレスカメラと超望遠レンズが帰らぬ主を待ちつづけていた。ズミクロンといっしょに

報道写真家としての矜持を持って……

最後に彼と話したのは半年前、無線でリモートコントロールできる特殊な撮影機材について相談を受けた。病いのことなんかおくびにも出さなかったが、彼がそれを必要としたのはモモンガの撮影のため、自身の気配を消すため、遠くはなれた所に身を置きたかったからと想像にかたくなかったが、私がそれを求めたのは地対艦ミサイルの発射シーンを1.5キロ離れた退避壕から撮るためであった。

そう考えると、動物写真も報道写真も相手が人間か動物かだけの違いでさほど変わらないかもしれない。被写体の生物、行動パターンを計り、張り込み、追っかけ、時に弾丸(タマ)こそ飛んでこないが生命に危険を及ぼす自然環境や猛獣が敵になる。

やっぱ小原氏は報道写真家としての矜持があったんや。

あっちには(R・)キャパもブレッソンも「ライカでグッバイ」した沢田教一も被写体にとしたヒグマに襲われ最期をとげた星野道夫もいる。

こっちでは断酒していた彼も今頃は彼らと車座になって語りあい飲み明かしているだろう。あっ…また先を越されたか。

写真集『シマエナガちゃん』(講談社ビーシー)
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